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2022-02-28

【イテイウォンクラス】というドラマを妻と見ました、そして想う。

 今日は妻との、もう回数は打たないがウォーキングの日である。妻とのウォーキングはすべて妻の歩きたいところを歩くことにしているので、どこに出掛けるのかは未定だが、どういうわけかはわからないが、妻と歩けるのであれば、どこでもいいのである。

まったく妻とのウォーキングがこんなにもすんなりと自然に始まり、とにもかくにも、お互いがお休みの日に持続していることが、私としてはとても嬉しい。

おのろけになるが古希を過ぎたからもういいのである。限りなく老い楽の遊び心を夫婦で見つけられたらサイコーである。理由はない。二人で意味もない他愛もない韓流のドラマなどの話などしながら歩いていると、子供心感覚とでも言うしかないような気分に帰れるのである。不思議である。

子供の時に、少額6年生くらいまで、あれほど夢中になって読んだ漫画を読んだときのように、ではまるでないのだが、最近絵空事漫画チック韓流ドラマを次女の推薦でイテイウォン(漢字がでないが私はこの街を歩いたことがある)クラスというドラマを寝る前に一話ずつ二人で見終えた。

古希過ぎて・薪割り励む・庭仕事

意外や意外古希を迎えた老人であるわたしが、子供に帰ったかのように、漫画にはまるかのように、次回が楽しみなほどに見たのである。

その理由を少しだけかくと、愛の不時着もそうだが奇想天外とでも言うしかない嘘のダイナミズムに満ちている、その事に大衆の夢の無意識願望がつかの間の夢の淡いを見させてくれるのである。

ドラマであるとわかっていながらも、主人公たちのあり得ないドラマの展開進行、これでもかのフィクションの画面の絵図らの鮮やかさ、女性が(男性も)当然はまるファッションとメイク、若者たちが群れ集うファッショナブルな居酒屋が舞台。SNS、まさにスマートフォンドラマである。

だが、ドラマの内容は今も変わらぬ、韓国らしいとでも言うしかないほどに古くさい。中卒で前科ものの若者が主人公。居酒屋、自分の店を繁盛させてのしあがる野望に燃える。その主人公の回りに社会のなかで疎外された個性的な面々が集まる。トランスジェンダー、黒人と韓国人とのハーフ、もとやくざ。そして決定的なデジタル時代の申し子のような一話では未成年の、人生を虚無としか感じられないイソ。(私はこの女優さんに魅せられた、美人ではないが美しい)

五十鈴川だよりではこれ以上詳しくは触れないが、関心のある方はどうぞ、このドラマには絵空事のなかに、今現在の多様性というダイバーシティの問題が、水面下で静かにちょっとずつ顔を出す。絵空事なのだが細部にキラリキラリと、人間にとっての揺るがない大事なことが、まさに絵空事だからこそ、描かれているのだ。

主人公たちが追い込まれ逃げるシーンがある。若者たちは都市の路地をひたすら走る。つぎつぎに降りかかる困難、スーパーヒーローに女神は舞い降りる。あり得ない、だが多くの集合的無意識大衆願望をこのドラマは満たすのである。

そして、決定的なのは古典的なあり得ない男女の恋愛の行方の引っ張り方の、常套的な絵図ら、構図、これでもかと韓流の情を刺激する音楽。つかの間の夢を満たしてくれるエンタメ満載ドラマである。それにしても、演技力のある俳優がなぜこうも韓国に現れるのか。

このドラマは今現在の時代の空気を的確にキャッチ、ヒットする条件をほとんど満たしていると私には思えたし、古希を過ぎた男にも泣けたシーンが多々あった。騙される快感である。何よりもいいのは、主人公たちがいびつで社会的な弱者であるのにも関わらず、輝いていて美しいのである。大きな男が丸め込むように、小さな女性を抱き締める。

男は人生ではじめて、心から女性を抱き締めながら、小さな外見的には従来の美女には遠い、しかし内面的には限りなくまっとうとでも言うしかない、美しさに気づき目覚め、逆に抱き締められるのである。

これ以上は、野暮だから打たない。タンダム(店の名前)にに集った青春ドラマに、古希を過ぎた私は、限りなく自分の過ぎ去りし時に恥ずかしい青春時代を何度も思い出した。


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