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2022-02-11

昨日午後妻と4回目のウォーキングの翌朝に想う。

 今日から3連休、肉体労働老いバイトはお休みだが、午前中は薪づくり用の木を取りに行ったりと体を動かすつもりである。(妻は仕事日なのでひとり作業だが、古い私は男の役割だと認識している)

日々生きて生活を営むということは、もうそれだけでかなりの時間がいる。昔の人のほとんどは、日々生きて生活するだけで、一日を終えていたのに違いない。昔の人にとって薪づくりは重要な冬の仕事であっただろう。私はもう限りなくどこか昔人の生活に(できなくても)憧がれ、可能な範囲で実践したいのである。

人間は進化の果てに、生活の中での生きる愉しみとか、趣味とか、あらゆる芸能や芸術や文化というものを必要とする、複雑怪奇で面妖この上ない、生き苦しい社会を今も作り続けているのかもしれない、なあと初老凡夫は、時折はたと考えるのである。でももう十二分にそういった世界を堪能する人生の季節は卒業、終わったのだとの認識が私の中にはある。

昨日妻と4回目のウォーキング  

もうこの年齢になると、あらゆるものから身軽になりたいと私などは考える方に、いちだんと思いはシフト加速している。執着しない生き方、シンプル極まりないライフスタイル、自分らしく存在するために今現在大切な人やモノにのみ重きを置いて、交信してゆけるような古希以後ライフを、五十鈴川だよりを打ちながら、おくりたいのだ。

というと、何やら世捨て人感が漂うが沈思黙考ライフ、限られたエネルギーを大事に、第一義に生活したいのである。何もしないのではなく、限られた生活範囲の中でゆっくりと動き充実感の持てる、時の過ごし方というものを追求模索実践したいのである。

話はいつものように変わる。数学者の岡潔先生の著作の解読、森田真生氏の御本で知らされ、繰り返し日本人の心についての在り様を、哲学的に思索を深めてゆかれた、稀な数学者であられた方であると知らされ、この歳になって学ぶことの、何たる見えない世界の豊かさを、息子くらいの年齢の数学者に知らされ、教わっている。若い豊かな生き方をされている方に教わるのだ。

コトバなき孫のほほえみに、目に見えない真実摂理が詰まっているのを、おもい知らされる古希のいっとき、若き数学者は私のこれからの歩みをきっと照らし続ける。たまたま音の神秘世界を私に伝えてくれた土取利行さん、たまたま数学的に世界をとらえ思考を深化し続ける数学者。良き言葉、良き音は、今の私の精神をかくも活性化させる。

正直、難解な語彙や言葉も多々あるのだが、繰り返し言葉を音読かみ砕き、素直に学ぶ。手掛かりを見つけ高い山によじ登る様に読み進めてゆくのが、たまらなく面白いのである。きっと面白がれる間は、わずかではあれどこか心が豊かになれるような気がしている。

 

 

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