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2022-01-05

明けましておめでとうございます。2022年最初の五十鈴川だより。

 明けましておめでとうございます。2022年最初の五十鈴川だよりである。なんとも言葉にしえないかのような初めて経験する稀な御正月を過ごせたことの、有難さをしっかりとまずは打っておきたい。

昨年末も打ったが、母(今年90歳になる)、二人の男の子、孫、家族全員9人で、穏やかに健康に、お天気にも恵まれ元旦を過ごすことができた。

元旦に次女家族が夫のふるさとに、そして長女家族が昨日大阪に向かい、母も自分の家に戻り、我が家は元通り妻と私の普段の生活に戻り、私は昨日から肉体労働アルバイト生活に復帰した。

とはいうものの、いまだお正月の余韻が体のあちこちに残っていて、五十鈴川だよりを打つ気分には程遠いのだが、 わずかではあれ自分の気持ちの足跡を打たないと、これまた気分が落ちつかないというアンビバレントにある私である。

めでたさも中くらいなるおらが春、ではなく。言うまでもなくこのような不思議な御正月を私は初めて経験した、いわば私自身の老いの自覚が深まったお正月をはじめて迎えたのだということをしっかりと打っておきたい。

娘たちが作ったカレンダー

何よりも義理の母とひ孫が共に過ごせたお正月、このコロナ下で、今のところ無事に寿ぐことが成ったという事実の重さをしっかと打たずにはおれない私である。めでたさも感極まれりおらが春、と。

そのこまごまの一部始終を打つことは不可能だし野暮というもの、私の胸の中にしかと留め置きたい。オミクロン株の広がりは不気味であるはあるが、何はともあれ我が家のお正月儀式が2年ぶり無事ににおえられたことは慶賀である。

さて、今年はどのような一年になるのか。どのような年を送りたいのか。五十鈴川だよりもいよいよ10年目を迎える。よたよたしながらよく打ち続けていると、飽きっぽい私なのに驚いている。

私には財産らしきものはほとんどないし、娘たち、義理の息子たちが五十鈴川だよりを打ち続けてほしいと、言ってくれるのでその言葉を励みに、そして何よりもこれからの老いの下り坂で見えてくるわが内なる心象風景のようなものがつづれればとも想う。

何よりも打って綴ることで、自分自身が活性化し、日々の生活の中での自問自答時間を持つことの重みを私自身に課し、2022年もよたよたの蛇行を繰り返しながら、流れてゆきたいとの年の初めの穏やかな決意を打っておく。

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