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2022-01-07

2022年は、歩くことを基本に音読生活を送りたいと、念頭に(年頭)想う朝。

 お正月気分がいまだ抜けきっていない私だが、肉体労働のおかげで、ゆるやかに新しい年が始まったとの実感が少しずつ湧いてきつつある。

そのようなさなかのオミクロン株の急激な広がりは、先の五十鈴川だよりでも触れたが、全く予断を許さない6波である。だが私個人としては、過密を避けてのこれまでと同じように対処しながらの様子見せいかつをつづけるくらいのことしかできないのだが。

ただただ、静かなる生活に倦まないように心がけ、終息をいのるくらいのことしか できないので、この件に触れるのはよすが、年明け早々からのちょっと、またもや気を引き締めなければならないのだとの、報道の過熱さである。

そのような中、今一番の心の落ち着き場所は、肉体労働アルバイトである。お天気に恵まれ冬らしい寒さの中、青い空の元、今現在の動ける身体と対話しながらの適度な体動かし仕事は、責任を持って任されているので、自由自在に自分の了見でできるので、変なストレスがなく楽しめている。

今年最初に一気に読んだ本

このような老いのアルバイトがあればこその、能天気につづれる五十鈴川だよりなのである。間もなく古希を迎えるわが体だが、ストレスなく体が動かせることがこんなにもありがたいことだとの気づきは、はじめて手術を体験したことがやはり大きい。

老いるということは、歩いたり立ったり座ったりの、いわば当たり前にできていたことが、できなくなるという厳然たる事実の重さへの気づきの深まり。病気やケガ他、いつ何時あるけなくなる、声がだせなくなるのか未知なのである。

だから何事も悔いなく日々を努めて有意義にと、ケセラセラ、オーバーではなく覚悟を決めるのである。

どうしたら楽しく仕事が持続できるのかを考えながら、今年も何とか一年つつがなく五十鈴川だよりを打ちながら、過ごしたいと思うのである。

年頭に当たって、ささやかに想うことは歩くこと、ウオーキングを少し意識的にやりたいという気持ちが湧いてきたことである。帰省の度に故郷を歩きたいのである。そのために長い距離を歩く訓練を積みたいのである。

五十鈴川だよりは曲がりなりにもなんとか続けているが、手術で今のところ弓の稽古がとん挫してしまったので、一番手軽にできる歩くということを、もっと意識的に取り組んでみたいのであるが、果たしてどうなりますか。

まずはだい一歩から。お休みの日週に一度か二度、少し長い距離を歩くことから始めようと、今の時点で考えている。平日は労働中にずいぶん歩いているのでやらない。お休みの日、とにかく異なる近場の景色の異なる場所の移動を、ともくろんでいる。

ついでに音読もしながらと、虫のいいことも考えているが、さてどうなるのかはやってみないとなんとも言えない。還暦を過ぎて遊声塾をはじめ、古希を迎えての音読自在塾 は、歩きながらのまずはひとり音読を基本に、過密を避けて(オミクロン株を避けて)静かにゆっくりとスタートしたいのである。

家族に何かあったら、すぐにやめるということはすでに打っているのだが、在り難いことにやれる状況なので、やれるときにやれることを悔いなくというのが、私のささやかなる信条なので始めたい。


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