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2022-01-22

1月19日午後、高松まで土取利行さんに会いにゆきました。冬の寒さの朝に想う。

 うれしい土曜日の朝が来た。故郷の日向灘を震源地とする震度5強の地震を真夜中知り、すぐ兄に連絡を入れた。幸い大事には至っていないとのことで、また床に就いたが目が覚めたので起きた。

今週は水曜日の午後に、とんぼ返りで高松にゆき土取利行さんに会ったりして、何かとあわただしかったので、すこし体は疲れているが、精神は元気である。なぜ土取さんに会いに行ったのかを打つには、こまごまとまた打たなければならないので、詳細を打つのは控える。が、少し打っておこう。

土取さんのふるさと、さぬきのサヌカイトの演奏会のプランが、コロナのために宙に浮いたまま2年以上が経つなか、そして今またオミクロンの猛威が収まる気配が見えない中、土取さんと手島圭三郎さん(原画の展示と、映像と朗読と演奏)とのコラボ企画なども、新たに 計画される運びとなり、私もほかならぬ土取さんの取り組みなのでお声がかかり、末席でお話を伺いに行ってきたのである。

一度生で聞いてみたい縄文鼓

このところともにお仕事をしている松田美緒さんも来られていた。私はいつものように土取さんの今現在のおもいのお声を、変幻自在多岐にわたるおなしを終始聞いているだけであったが、それでも昔よりはいくばくか話の内容についていけるようになっている自分がいた。

汲めども尽きせぬ泉のように、音の神秘について、これまで人生を賭しての探究で体得したおもい、蓄積知見を、生徒に授業で語るかのように披歴してくださった。バウルのお話、ミルフォード・グレイブスのお話などは、めったにきくことがかなわぬ内容で、そのお話と元気に語り続ける氏の姿を確認できただけでも、出かけて行ってよかったことを、きちんと五十鈴川だよりに打っておきたい。

毎回思うことだが、土取さんは私にとっては25歳で出会った時から未知の国の音楽についての、水先案内人である。あれから35年、そのことは今もって全く変わっていない。私にととっては、まったく未知の異能人というほかはない存在なのだが、何故か不思議というほかはないが、縁が切れずに関係性が続いている。そのことがはなぜなのかは 実は私にもよくはわからない。

だがはっきりといえることは、土取さんとの出会いがなければ、現在の私はなく、中世夢が原で の企画を実現することは、まったくかなわなかったであろう。身の程もわきまえず未知の世界の扉をこじ開ける勇気も育みえなかったことだけはまず間違いない。

土取さんの世界を理解しえていたから企画がかなったのではなく、理解が不可能なほどに遠かったからこそ、企画したかったのかもしれないと想うのだ。そしてそのことは、今もって全く変わらないのだということを、私は感じている。未知な世界を無知な頭で感じのぞいてみたいのだ、少々やけどしても。

理解できないから惹かれるのである。ある程度の距離感をもって遠巻きに、しかし熱い云うに言えない共感性のようなものが私の中に生まれてくるのが、自分でもよくはわからない。

だが、凡庸な私には見えない世界の彼方を氏は見据えていることだけは私にもはっきりとわかるのである。その見据え方が、時に恐ろしいくらいの射程で人類の行く末を見据えている、稀な音楽家なのではないかとのおもいが私にはするのである。

蛇足でもっと打てば、人類の一部の欲まみれの人間がこの数百年に冒した地球自然破壊(私もその中の一人である)に音の神秘でもって警鐘を鳴らし続けている勇気ある稀人、形容する言葉が私にはないが 、あえて打つなら縦横無尽に逸脱する芸術音楽家なのだと、私は思っている。


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