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2022-01-09

2022年、初行脚2時間無事に終える。

先程年頭に考えた歩くこことを実現してきて、帰ってきたばかりで、お休みがてらコーヒーを飲みつつ打っている。どれくらいの距離を歩いたのかはわからないが、正味2時間は歩いた。

6時半過ぎ、まだうす暗い夜明け前に家を出た。どこを歩くのかは決めてなかったのだが、足は自然と車の少ない吉井川の土手へと向かった。歩くのは初めてのコースである。土手沿いをひたすら河口に向かって歩いてゆく。途中から車が入れない土手沿いに入る。吉井川河口にはたくさんの鴨が群れをなして浮かんでいる。広いかこうの穏やかさがなんとも言えない。

私と同年代か、もしくはもっとご年配の方がすでに歩いている。犬を連れている方もいる。休日ではあるが、私よりも若そうな方は見受けなかった。

車のいない土手沿いを歩くのはとてもいい。川沿いを歩くというのは実にいいものだ、とあらためて発見した。西大寺に移住して30年になるが、吉井川の河口を土手側から眺めながら初めて歩く。そのあまりの、夜明け前の薄明りの風景から、刻一刻日が昇ってきて川面を照らしながら、徐々に明るくなってゆく様は、唖然とするほどに見とれてしまう見事さで、おもわず一句が口から出た。

獅子舞に見入る葉君

【朝焼けに・背中押されて・初歩き】古希から歩き始めることを思い立った私だが、おもい付かなかったら、河口からのあまりの素晴らしさを目の当たりにすることはなかったかもしれない。

思いついたら吉日というが、まさに然りである。それぞれの年代で思い付くことがあり、その思いつきに身をまかせ(身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ)浮世を泳いで今を迎えていることをおもうと、古希目前のこの思い付きは、我が身に新たな歩くことの楽しみのような来福をもたらしてくれるかもしれない。

とまあ、初歩きにしては最高の景色が拝めたことは、慶賀の至りと打たずにはいられないのである。景色に魅入られてゆくかのように行脚することの喜びを、見つけてゆく愉しみがにわかにわが体に広がったことが、何はともあれ本日の初歩きの収穫となった。

歩くことで風景に溶け込んでゆくかのような感覚を味わえたことは、喜びというほかはない。できるだけ車の少ないところを選んで、これからは私の好きな場所、好きな風景を探して何よりも足腰を大切に、歩けることを大事に、家族を大事に、犬も歩けば的に年を重ねてゆきたい、と思う。

距離ではなく、歩く過程に重きを置いて、大地を踏みしめてゆきたい。まずはだ一回を無時に行脚できたことの感謝をしっかりと打っておく。

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