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2018-03-03

初めて高村薫さんの小説、【土の記】上下を読みました。

初めて高村薫さんの小説、土の記上下を読んだ。いわゆる純文学といわれる本を、ほとんどこれまで私は読んでこなかった。

だが、折々新聞などで高村さんの発言などをたまたま読み、ほぼ私と同世代の、この作家に関心をもっていた。何かこれまで読んだことがなく、今を生きる私に必要な手ごわい小説が読みたかった。

私は本(の種類にもよるが)を読むのは極めて遅い、特に高村薫さんのような、独自のその人にしか書けない自在な創作文体を、一行一行読み進むのは、かなりの根気が私には必要だった。

が、主人公が72歳で 【土の記】というタイトルに惹かれ、稲の栽培に関しての記述や、そのほかにも異なる分野の専門的な用語に、多々読めない漢字があって、しばし難儀しながらも、何故か読み進められたのは、やはり現代の高齢化家族の抱えている、不毛の闇を丸ごと描こうという、作家の比類ない挑戦に撃たれたからだ。

本能的良心がにじみでる作家が、数年かけ心血を振り絞って書いた小説を、わずかな時間で読み、読んだ気になってしまうのは、空恐ろしいことだといわねばならない。

巷間、日々数多の小説が出版されるが、私などが手にし、冷静に深く読める時間、本は限られている。縁とたまたまのタイミングでの本との出会いなのである。


よたよたとで、はあるが、わずかずつ長年にわたって本を読み続けてきたおかげで、 年齢を重ねるにつけ、良き本に巡り合うようになってきた。

2月は随分と五十鈴川だよりを書いているが、それはきっと良き本に巡り合い、日本語という文字、言葉で考える生き物として、言語による想像力が私の中で刺激され、かろうじて何かがわが体の中で、分泌されているからである。(本だけではもちろんない)

私が今求める作品は、なにがしかの、現代の解決不可能に思えるような問題から目をそらさず意識的に果敢に取り組み、挑戦している作家の本、読者が求める正解やカタルシス(そういう本も私は好きではある)ばかりではなく、未知の想像力を刺激してくれる本である。

数冊の本を時間帯で読み分けながら、【土の記】上下500ページを読み終えたが、この同時代の未曾有のカオスの中、一筋の光を(困難な道)探究する作家の言葉に撃たれた。




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