ページ

2018-03-26

稲城だより➂(66歳、親子三世代での初めての生活)

稲城4日目、ほんの少し娘夫婦のところでの暮らしも慣れてきつつある。が、しかしこの齢になると、本当に自分が田舎者であることを痛感する。都会での生活が、時の流れ、人々の表情ほか、全般にわたって正直しんどく感じるのは、明らかに私が老いつつあるからである。

ところで物見遊山ではなく、わずか10日強にわたる稲城暮らしではあるが、この望晃君誕生がもたらしてくれた、岡山の生活リズムとはあまりにかけ離れた生活は、今を生きる私にまた新たなもたらしてくれそうな予感がしている。

早朝の散歩は、岡山でもやっているが、環境の異なる稲城での散歩は非日常の地場であるので、まだ慣れず、体がふわふわ異次元を歩いているかのような趣だ。宮崎の田舎で幼少年期を過ごした私には、まるで浦島太郎でもあるかのような、途方もなく次元の離れた
場と空間である。

人工的に整然と作られた、現代人居住空間都市の中で、唯一私が安らぐのは、おそらくは旧稲木村の面影を残す、先人たちが植えた見事な 桜並木の散歩だ。
レイ君が作ったパン、娘と私に手料理の夕飯

朝、その桜並木の下を、逍遥する一時、私は時空をさかのぼって 、今は昔と想像世界に遊ぶ。これこそがいまの私にとっての、ささやかな老いらくの楽しみである。

散策していると、大都市郊外に住む人々が、知恵を絞って限られた土地に、多様な緑化を植えている。自然への原始的本能回帰だろう 。

ともあれ、あと一週間、早朝散歩や買い出しをしたりしながら、都市生活者の暮らしを眺めながら、望晃くんと娘夫婦との思わぬ三世代での初めての生活を心に刻みたい、66歳の春を生きる私である。

0 件のコメント:

コメントを投稿