ページ

2018-03-02

春の嵐の日にアーサー・ビナードさんにお手紙を書く。

昨日は春の嵐が吹き荒れ、北国では強風と吹雪が続いて災禍が報じられている。今朝は一転穏やかな朝で、私は春の日差しが一番入り込む部屋で、しばしの五十鈴川だよりじかんである。

初老の、曰く微妙に揺れ動く自分の中の心身のうつろいを、週に何回かつづれるいっときのおかげで、充実の日々を過ごしている。(気がしている)過ごせていなければ、臆面もなく、書き綴れるわけもなく五十鈴川だよりは、当の昔におえていただろう。

一言、確認自問自答、日々のわがきわめて個人的雑記録が、五十鈴川だよりなのだと、あらためて思う。つたなくはあっても、何やらの想いがつづれると、数日間は何も書かなくても、良きリズムで日々が過ごせるのである。



アーサービナードさんは私が人生で初めて出遭えた詩人である
そうこうしているうちに、徐々に徐々にあの寒かった冬が去り、しずしずと春の気配がそこかしこに感じられ、冬を忘れることによって、新たにめぐりくる春を新鮮に生きられるというのが、身体に備わっている、人間の摂理というものかもしれない。人間は環境から逃れえない生き物である。

ともあれ、生きている限り、私は私の一回生をそれなりに絶対矛盾を抱えながら、可能な限り五十鈴川だよりを綴ることでの、内省時間を大切にしたいと思うのである。

さて、昨日午前中アーサー・ビナードさん、兄、年上の友人宛に3通お手紙をかいた。メールでのやり取りももちろん可能なのだが、最近万年筆でできるだけ手紙やはがきを書く時間を、大切にしたいと思うようになってきた。
詩人の感性が横溢、シェイクスピアの引用がそこかしこに出てくる

畏敬、敬愛する アーサービナードさんは、いまだにケータイを持たれていない、都内を移動する時には、雨の日以外は自転車で移動しているというほどの、グローバル化という一見美名な時代の大波には、安易に飲み込まれない、強靭な筋金入りの感性の持ち主、そのような方に手紙が書けるというだけで、私はうれしい。

私は思想信条も浅薄至極、ではあるが、年下の異国の方の、恐れ入るほどの日本語能力のもとに(英語も含めた多言語能力、疑う好奇心つまりは、彼の思想)徹底した 生き方を実践されているのを、わずかでも学びたく思う日々なのである。やわらかい頑固者に憧れる。

絵本の翻訳他お仕事は多岐にわたっている
先日念願かなって初めてお目にかかり、すでにもっていた本に講演が始まる前 サインをお願いした際に、お手紙を書きたいので住所を教えてくださいと、ぶしつけではあったが、いきなり申し出たのだが、ビナードさんは淡々と書いてくださり、何と電話番号、まで記してくださったのである。

人間は、直感で何かを感じるものである。私は理屈よりも直感を信じる。逆の立場、私だったらどうしたであろうか。日本語ぽこリポコリを読んで、氏の類まれなユーモアとその博識、教養の深さ、人間性に撃たれていた私は、詩人が見ず知らずの私に住所を書いてくださる自信があった、私の直感は当たった。

氏の発言や書かれている言葉には、嘘偽りの言葉がまったくない、限りない人類への愛の想いの深さ、氏が見つけた日本語の日本人も知らない、気づかない、思いもよらぬ発見の言葉が絶望的なまでに満ち満ちている。

氏は、このままでは日本語が廃れてゆく、この時代の趨勢を絶望的なまでに危惧している。異国の方がである。 一庶民、日本人の端くれとして、先人が生活の端々で紡いできた日本語の素晴らしさを学びなおしたいと、感じ取りたいと、思わずにはいられない。













0 件のコメント:

コメントを投稿