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2018-03-16

眼が明いた孫の写真を眺めながら想う。

孫が生まれてから、妻はおばばとなり、日夜孫の変身ぶりに歓喜のメールを送っている。一夜にして、世界が変わったかのようなあんばいである。

男の私にはいかんともしがたい生理的な差異を、時折痛感しながらも、その 差異をどこかまぶしく感じながら、眺めている。

自分のことだが、やはり男はどこか観念的で、うれしいのだが、どこかそうっと遠巻きに眺めているといった按配の体、まぶしい輝きの小さな生命体に、おじじはいささか照れるのである。

父親になった時もそうだったが、孫と対面し、関係性を築きながら、ゆるやかに緩やかにおじじになってゆくのではないかと思う、そうなりながら、ゆっくり私なりのおじじを目指したいと思っている。

今朝、目が明いた孫の写真を眺めながら、いかんともしがたいジジバカにになってゆくのではないかとの予感は、いい意味でしそうな気配である。

ともあれ、娘夫婦のお邪魔に ならない程度に、適度な距離感で孫には接するつもり、とりあえずは、今月下旬に上京し産後で動けない娘のなにかのお役に立てればとの思いである。
私は高峰秀子さんのファンである(ブログの内容には関係ありません)

相も変らず、多事国難のさなか、時は移ろい高知ではいよいよ桜の開花の知らせ 、おそらく孫と初めて対面、しばし滞在するころには東京でもお花見ができるだろう。

私にとっての東京 は第二のふるさとといっても過言ではない。桜の名所がいたり所に在り、娘が生まれてしばし、岡山に移住するまでの数年、3人で住んでいた久我山の駅前周辺、井の頭公園周辺をうららかな日によく散歩した思い出がよみがえる。

生きて元気である間に、孫ともささやかに、あれやこれやの自然の中での思い出が作れたらとおじじは願う。私の好きな海山川、得意なことで男同士(女の子ではこうはいかない)孫との時間を 紡ぎたく夢は広がる。

そのためには、今しばらく元気に動ける身体をキープしなければならない。そのためにささやかに始めたことがあるのだが、3ヶ月持続したら五十鈴川だよりに書くことにしたい。




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