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2014-01-08

年賀状はこれから書に親しむ時間となりました。手と足で考える年の始まり。


今年のお正月はほとんどテレビを見ませんでした。こんなお正月ははじめてではないかと思います。家族と過ごす以外は、ほとんどの時間を自室で過ごしました。

 

昨日も仕事から帰って夕食前、ポツリポツリと頂く、年賀状のお返事を墨を磨り、古いかなり使いこんで、筆先がわれる筆で7枚書きました。父が使っていた筆です。

 

年賀状もリセットして、頂いた方には年があけてから出すように決めました。退職したので、年賀状は減ってゆくだろうと思っていたのですが、かなりの方からお年賀をいただき、はなはだただ恐縮しています。

 

ただ、一度しかお目にかかったことがなく、それも随分前のことで、お話ししたこともそんなにはなく、お顔の記憶も定かではない方から頂くことがあり、大変失礼とは存じますが、もうここら辺りで、一区切りということにしました。

 

年賀状書きには2日の日、ほぼ終日を費やしました。100枚以上書きました。宛名はペンで、それ以外は筆で書きました。こんなことは初めてかもしれません。全部黒なので、目出度いお正月には不向きかもしれませんが、父がいつも手で書いていた姿がまぶたに焼き付いていまして、歳と共に気持ちが乗り移ってくるのです。

 

気持ちを伝えるのは、なかなかに難しいことで、これからの人生時間を考えると、一人一人の方のお顔を思い浮かべながら、文字を書くというのは、なかなかに趣きのあるお正月時間にこれからはますますなってゆくように書きながら思ったことです。

 

落ち着いて文字を書くということを、ずっとやりたいと思っていました。書に親しむ時間が、私にはいいのです。ブログはパソコンで書き、はなはだ矛盾していますが、私の中では、中庸のバランスが肝要なのです。やがて、手で書くことも含めあらゆることが、機械にとって代わられるかもしれませんが、自分の身体と付き合ってゆくことが人生、手間暇がかかろうとも、肝要ではないかとの側に私はたつものです。

 

人間は機械ではなく、情動の器なのです、(文字には、気が映ります)。あと先のことは考えず、できるだけ頭ではなく全身で考えられるような器で在りたいと、そんなふうに文字を書きながら思うのです。

 
暮らしの中で、よどんでゆく意識を掃除するためには、書はこれからの私にとってとても大切な時間となります。それと枯れゆく肉体で、声を出し続けることが、これからの楽しみの一つです

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