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2014-01-20

初めて高齢者の方々のコーラスを聴きに妻とゆきました、そして思いました

ネギを植えるのに疲れ背筋を伸ばす私(N氏撮影)
今年2通目の封書をこの間頂きました。私は山陽カルチャープラザで昨年暮れから一人の生徒さんと、シェイクスピアを読んでいる。この方のことは昨年ブログでも触れたので、お読みになった方もいらっしゃると思います。

この方からでした。まず、やはり文字は体を表すといいますが、文字を見て、あっ、Uさんからだと、嬉しく封を開けました。開けると、コーラスの発表会の御招待券と、身に余る言葉が美しい文字で添えられていました。

そのコーラスの会に、昨日午後妻と二人でルネスホールに出かけました。かなりご年配の、ほとんど私より年上の方々の、いろんなグループが5組、男性が参加されているグループもありましたが、9割は女性の方たちでした。

Uさんも数年前、岡山に縁あってこられてからあるグループに参加されておられ、何故か私にご招待券を、送ってくださったのです。正直、私はあまりコーラスとかがすきではありません。ご招待券を送ってくださらなかったら、まずゆくことはなかったと思います。

でも、いい意味で言行ってよかったと思いました。だからこそブログを書いているのですが、こんなにも高齢の方々が(私よりもずっと、という意味で)一堂に会して歌っておられることに関してちょっと驚き、うまく言葉では書けないのですが、いろんな思いが去来しました。

そのことに関しては、私のつたなき朝ブログでは到底書ききれないので、性急に書く愚は控えたく思います。これだけ高齢の方々が、観客席も含め一堂に会してのそのばの雰囲気は、日本の置かれている、超高齢化社会の現実を私に知らしめました。観客席には若い方がほとんどおられず、その断絶感(寒)にも。

(あらゆる断絶や孤独がこんなにも複雑怪奇に張り巡らされているような時代は、何とも嘘寒く、小生は、薄気味悪くて仕方ありません。教育であれ何であれしがみつく先がお金しかない、無成熟、無希望、無感動社会、不条理犯罪が減るわけがないのは道理です、話がそれました)

やがて私も確実にこの方たちと同じように年を重ねてゆくという、何人といえども向かう道。あらためてそれに向かい合う勇気を、気づいたときからもちづづけてゆく、意識的訓練をしなければならないと、感じ入りました。

Uさんは、おそらくいろんな覚悟を維持しながら歌を歌い、シェイクスピアを読まれながら、今という自分の人生時間を生きておられるのだと思います。そんな矜持を持った生き方をされている方が、若輩の私のレッスンに参加されているという巡り合いに、居住まいを正される気がします。

今日はこれから今年初めてのレッスンがある日なのですが、二人でシェイクスピアの・冬物語・を読む予定です。人間とは究極的には孤独な存在、一人でこの世に生を受け、一人消えてゆく存在、その間出会える人の数は限られて一る。

この年になり、誰かのお役に立てるような時間が持てる我が人生は、言葉にならないありがたさです。人間は夢を紡ぐ生き物、希望や喜びを紡ぎだせないような潤いのない、乾いたかさかさ社会は、一見華やかなれど何とも私には魅力がありません。

人間も同じです。理屈なく希望やささやかな喜びを、他者と共有できる、紡いでゆく勇気をもって生きてゆく方に、私は惹かれます。求めて、歩きゆくものは出会える。

1 件のコメント:

  1. 「高齢者」の施設で働いておりますと、来訪される息子さんや娘さん、妹さんたちが すでに 60代、70代。入居者さんのお歳が「80歳」なら 「まだ若いのに」と思ってしまいます。
    こと「年齢」に関しては 世間一般の感覚とは かなりずれてしまっているかもしれませんね。
    私も「コーラス」は あんまり 関心がないので その会場の雰囲気はよくわからないのですが 9割は女性、お姉さま方 元気でなにより。

    観客席に若い方がほとんどおられなかった、というのは 残念ですが、それは そういう年代の層に招待券を配らなかったためでは?

    「後期高齢者」は 「好機」「高貴」「好奇」「光輝」高齢者、というプログ 日高様 どこかに書いておられませんでしたっけ。

    現実は厳しいですが 前向きに行きたいものです。

    大寒です。ご自愛ください。

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