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2014-01-30

降ってわいた雨のお休み、丸谷才一さんの・別れの挨拶を読む

雨が降ると、降ってわいたように、私の時間となる、つまり仕事がお休みになったのである。フルに働いていればこそのお休みのありがたさである。晴耕雨読とはよく言ったものだと思う。そこはかとなくかすかに春の訪れを感じさせるかのような、今朝の我が家の庭の気配である。一人静かに雨の煙るのを感じながら過ごすのも、これまた一興、いとおかし。

夕方までの、まったくの一人自由時間。私は、本さえあればまったく退屈しない性格である。本は私にとっては、精神の自由な旅ができるので、読んでいる間あれやこれや刺激を受け、心が活性化する。読むのは遅いが、楽しさ極まる。

へーっという、知的刺激があればこその、動かぬ読書旅である。本を片手に、実際の旅にいつでも出かける準備も兼ねている。その時のためにも、ちりも積もるようにわずかな時間を大切に、本を読まねば人生もったいないと、心から思う。

今日これから、読もうと思っている本は、おととしお亡くなりになった丸谷才一さんの・別れの挨拶・おなくなりになる直前までの、そのあまりにも見事な生き方、作家であり批評家、文学世界のあまりな博覧強記、爪の垢ほどしか読んではいない私でさえ、立派な方お仕事をされた方だと感じ入る。

大人(たいじん)的、ユーモア感覚とエスプリ、鋭い諧謔精神は、日本的な湿気が過剰な風土の中では、ちょっと異彩を放っておられたのではないかと、無学文盲の私だが、感じる。

毎日新聞の書評欄を今もずっと、(本を読む時間が限られた人生を送っている私が)楽しみに読んでいる私だが、書評を文学にまで高められた丸谷さんのお仕事のおかげである。

視野の広い、信頼できる水先案内人のような方が、いろんな分野にいてくださらないと、私のような輩は、どこかささやかに、不安を感じる。だから丸谷さんが選んだ書評氏達の推薦する本で、私はかなりの本を、この10年くらい読んできた。皆私の勝手なの先生たちである。とても読み切れないから、これはと思う書評は切り抜いている。(そんなノートがずいぶんたまった)

今後、これからの雨の日、まとまった時間は、繰り返し読むに)耐える本を周りに置いて、本を紐解き、心の滋養にしたいと思う。






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