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2014-01-28

貧困や、あらゆる困難な時代の到来に向かい合う勇気を養いたい朝

いきなりでごめんなさい。昨夜TVで10代の女性や、シングルマザーのとある現実に迫った現実番組をたまたま夕飯を終え見ました。

低賃金で、二つも三つも掛け持ちでアルバイトし働いても10万円くらいにしかならないという、なんともはや、厳しい現実。

10代や、20代の、これからの時代を担う未来の若い女性たちの、ある種の貧困層の(自分達一仕事終えた世代のことではなく)置かれている現実に対して、痛みを伴う感覚が私を襲った。

いろんな問題が、社会に起きていてるのだ。100年以上も前に石川啄木は働けど働けど、我が暮らしは、楽にならずとうたっているが、今もまたそのような時代が続いているのだ。

一部のほんの一握りの人たちが、世界の富を独占し、多くの人たちが貧困にあえぐなんともはや嘘寒い構造に、かなりの人たちは、おかしいと気づいているはずだが、おかしい、なんとかならないかと、声をあげる人の少なさは、これまた寂しい。

難しいことではないと私は考える。困っている人がいたら手を差し伸べる、余裕のある社会が豊かな社会といえるのではないかと、私など考える。ブログで書くことくらいしかできなくてもだ。

私自身、18歳で世の中に出て、なんとか生きることができているのは、いろんな方々の、家族をはじめ友人知人の、支えが在るからである。周りには困窮の人々の社会、塀に守られ、銃に守られ自分たちはぬくぬく豪奢な生活なんてのは、私には薄気味悪い。それで楽しいという人の気がしれない。

(話がそれるが、ヒトは他者があってこそ、存在するのである。その他者たちを思いやらない、やれない、自分たちの側のことしか考えない、戦争をはじめとする、想像力的精神の荒廃は、あまねく先進国の支配者の上層部を覆っているのではないかと私など凡夫は時折暗澹としてしまう。)

そういう支えが身の回りにないというのは、なんともはや痛ましい。心なき時代の到来は、社会をますます、生き苦しくし、負のスパイラルに向かっているように思えてならない。だが、おこったりあきらめたりしてはならないと、私は考える。

怒ったり、あきらめたりしたら相手の思うつぼではないか、そこは知恵と勇気を持って、ジャンバルジャンのように考えるのだ。私ごときだってあきらめず、しつこくささやかな器で今も考えているからこそ生き延びているのだ。

物事を複雑に考えてはならないと私が考える。単純に考えればいいというのが私の考えだ。複雑に考えたら、うつ病になるか、自殺に追い込まれてしまう。繰り返すが相手の思うつぼである。

チャップリンが言っている、友人と勇気と少々のお金。健康で頑健な体を培い、考える力と勇気をもたないと長いものに巻かれてしまう、私たちの世代だってうかうかはしていられない。

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