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2014-01-13

畑で自省する力を養ってゆきたいと思う冬の朝

凍った土を管理機で撹拌するF氏
シンと冷えた朝です、家人はまだ休んでいます。当たり前のことですが、起きて、妻が夜のうちに用意してくれているものを朝、あれやこれや準備しパソコンの前に座るまでおおよそ30分くらいかかります。

仕事に行く前の朝のひとときは、何とも言えず心が穏やか、静かなひとときで、何度も書いていますが、大好きな時間です。満たされた睡眠で身体が全くニュートラルになっているからだと思われます。

夜明け前のひととき、何を書くかも決めず定まらずともかく、書き始めているとなにがしかのことを身体の方が書き始めるそんな五十鈴川だよりに、最近なってきています。私は何を書くかなんてトンと決めてはおりません。

さて、今年というか、今日を、今をなるべくきちんと生きてゆく、よすがとして書きつづる我がブログですが、昨年生活のいろんなことが大きく変化してゆかざるを得なくなった中で、私がかなり考えたことの一つに、反省するということがあります。

一口に、ある程度の年齢になってから、生活のスタイルを変えるとか、何かの出来事で大きく人生のかじを切らねばならなくなったときに、自分の場合のことですが、反省するということの力が必要だということを、昨年はことのほか考える必要なことが起こった年でした。

短い朝ブログでは、内的にとても込み入ったことなので、ふれることはよしますが、そのことは今もって、反省するという言葉を書くと、自分が悪いという意味のようにとらえてしまいがちですが、そういう、いい悪いの単純なことではなく、どちらかといえば、反省ではなく、自省するという感覚です。

その感覚は、年が明けたからと言ってなくなるものではなく、これからもずっと考え続けてゆきたいという、ある種の思い感覚なのです。そういう感覚を自分の中によびさますような事が起こるということを、私は前向きに考えてゆきたいのです。

おそらくそういう日々の暮らしの中に起きてくる、微妙なとげのような感覚は、ある種の気づきを生む訓練のようなことをしていないと、なかなかに日々のお生活の中に埋もれてしまい、自分を正当化してふたをしてしまいがちになる、そんな気がいたします。

そういう意味で、ほとんどを畑で過ごす今の仕事は、自分で言うのも何やら氣はずくしくはあるのですが、何かがやはり巡り合わせてくれたのではないかと思っています。自省の力を養うには申し分ありません。

話は変わり、お正月長女が私たち夫婦にお年玉をくれたのですが、そのお金で私はオレンジのつなぎの畑用の作業着を買いました。朝の畑は、冬ですから霜が降りていたりして、かなり冷えています。自分の体は自分で守らなくてはなりません。

その霜も、朝日が昇るとたちまち、蒸気となって消えてゆきます。動いていると、体も徐々に温まってきます。そうして緩やかに仕事世界に集中してゆきます。この集中感覚が私にとっての農の仕事のだいご味です。

剥がれた、マルチに鍬で土をかけてゆく作業を100メートルやるのはなかなかに骨の折れる仕事なのですが、こんな単純きわまる仕事を我々の祖先は、ついこの間まで長い歴史上やっていたわけです。畑を耕しながら、祖先と対話ができる感覚。

畑仕事は、足や腰、体全体のバランスができていなと長続きしません。やり続けていると、体がいろんな気づきを教えてくれる気がします。何事も続けないことには見つかりません。どんな世界にも喜びを見つけられる感覚を養うこと、そのことを自省しながら養ってゆきたいと、思う朝です。

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