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2013-12-03

藤原新也さんのトークを読んで思わぬ朝ブログになりました

Yさんに頂いた見事なゆず

自分というわけのわからない存在が、4年以上もささやかなブログではあれ、書きつづけていると、61歳といういい年齢であるにもかかわらず、年とは関係なく何かが育ってきているような感覚が身体というか、精神に感じられて、不思議な心もちになることがある。

 

さて、藤原新也さんのCatWalkを読むと、石波茂氏がデモはテロと同じと発言していることを、遅まきながら知った。ということは私がブログで秘密保護法案には反対だと、バーチャルなデモンストレイションをしたら、テロということになってしまう。

 

普段権力の恐ろしさなんてことを、意識しないでも生きて来られたことで、(私自身の脳天気さはおいといて)あらゆる点で思考マヒ、行動マヒ、感性マヒ、な時代状況が続いている(私のことです)かのような気がしないでもないが、藤原新也さんをはじめ真剣に考えておられる方々が、ネット上には多数おられて、ほッとする。

 

私の生活するまわりにもかすかに時代の流れ(空気感)に関して、危機感を持っておられる方もいる。長いものや、大きい権力、強いものには大多数の人間が、口を閉ざす体質のようなものがこの島国民族にはいかんともしがたく覆っているように私には感じられるのだが、いかがでしょうか。

 

長い血ぬられた歴史の上で、ようやく実現した戦後民主主義時代に私は生を受けたものとして、何としても守らなければならないと思えることが、私にはささやかにあります。

 

それが危うくなるような時代は、ささやかにブログであれ何であれ、先ずは責任ある大人として、一人一人が自律して先ずは自分個人の考えで発言する、そのことが民主主義の根幹であるとの認識です。

 

私も含め、人間とはそんなに強い生き物ではないという認識もありますが、いつの時代も勇気を持って生きてきたお手本の先人達がたくさんおられます。その方たちの生き方から私も物心つく頃から、かすかに学び続けてきました。だからこそ生きてこられました。

 

何も政治的に声をあげなくても、多様な個人個人の生き方が、時にもっと大きな力を及ぼすこともありうるとの私は立場です。まったくこれまでにはなかったデモ、新しい方法も模索しつつ、ユーモアと微笑みを持って、おかしいと感じることは自由に発言する。

 

多様な意見が、百花繚乱するようにならないと、あっという間に生き苦しい時代がやってくるのではないかと、私は危惧します。

 

短い朝の思考ブログではありますが、何故か書いてしましました。

 

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