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2013-12-10

師走、お給料日の朝に思う


色づいてきた我が家のはっさく

いろんなことを日々忘れながらも、何がしかのことをしながら新しき日々を送る。書きたいと思う気持ちがあるとき、または落ち着いて書く時間が取れる時はわずかではあれ何かを書きたいという煩悩のようなものが消えない私だ。

 

昨夜は久しぶりに雨音を聞きながら床についた。起きてコーヒーを入れ、朝のこまごまとしたことをやり、仕事へ向かう準備をし外に出てみると、雨はあがり星がひとつ、夜明け前の空にまたたいていた。

 

さて、ペイデイ、今日は御給料日である。退職後再び働き始め、私にとってはまとまったお金が頂ける、二度目の日である。ありがたいことである。

 

18歳から世の中に出て、生きるがために様々な仕事をしながら、生き延びることができたせいか、私はお金を、私なりに大切にますますもって使うようになってきている。この22年間は、妻も私も子育てそのほかのことに、きれいに(節約しても)消えていたので、つましきなかで、いかにお金を有効に使うかということに腐心してきた。鍛えられた。

 

知恵を絞り使うことの、お金の大事が少しは私なりに身に着いたのではないかという気がしている。この十数年来の2極化というのか、富が強者の方に流れ、派遣をはじめとする様々な弱者の仕事は、ますますもって厳しい状況が続いている現状を肌で感じている。

 

あらためて退職してみて、自分が年齢的にも仕事を選ぶ際に感じたのは、すべての庶民・大衆が過酷な現実を生きているということである。私もその中の一人であることを感じながら生きている。タフな時代をタフに生き延びる知恵を、庶民は振りしぼる。

 

物や金の流れ、構造的仕組みに振り回されながらも、私がなんとか生き延びることができたのは、ひとえに身の丈に合う暮らしを、模索し続けてきたからだと思う。お金を持っていない人間は、お金を余計なことには使わないということが、鉄則だということである。

 

でないと、この弱肉強食資本主義社会を生き延びることは、なかなかに難しく、資本家の(悪い言葉でいえば)餌食にされてしまうのが落ちだろう。

 

何か一つ、得意なことや、資格や、他の人とは異なる職人的な特技を身につけていないと、これからの時代は、ますますもって厳しき時代を生きざるを得ないことは、確実である。だからこそ、知恵を絞る工夫を楽しまねば、ならないと考える。

 

朝から、思わぬブログになったが、私が身の丈に合う暮らしをしてきたのは、イギリスでの生活体験がやはり大きい。イギリス人は本当に頑固なほどに個人のライフスタイルを貫いていた。そのことのすがすがしさを25歳で体験できたこと、日本社会の偏狭なうずの流れから脱出し、外から日本社会を眺められたことがすべてである。

 

 

 

 

 

 

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