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2013-12-20

淡々とポットにネギの種を移植しながら、静かに一人で過ごす年の瀬

サンナンの農を支えるF氏が自費で作ったストーブ

何か淡々と小さき日々が過ぎてゆく、そのことがどれほどに有難く幸せであるのかを、充分に自覚できる年の瀬の朝ブログ。

 

最近夜はほとんど何もせず、ニュースの類もほとんど見ず、TVも頭をからにし、旅の風景番組を多少観るくらいで。9時過ぎには横になりひたすら身体を休めるような生活を、農の仕事を始めてから送っている。

 

農の仕事はからだを使うせいか、とにかく良く眠れる。年をとると眠れなくなるなんてことをよく聞いていたが、我ながら感心するほどに良く眠る。

 

おかげさまで家族もみんな元気で、心配事が今のところ全くなく、健康であるからこのようなある意味での、脳天気なブログもかけるのだと、何かに静かに感謝する私である。

 

ところで、私個人のことはともかく、時代の空気感はやはりとんでもなき時代に向かおうとしているのではないかという感はぬぐえない。がしかしいつの時代も人びとは、あまたの困難な時代を生き延びてきたのであるから、私自身は私自身の生活をとりあえず生きるしかない。

 

(あんずるより産むがやすし、清水の舞台から飛び降りる、身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ)

 

特定秘密保護法案を始め、国の根幹に関する、国民にとって最も肝心なことが、何か眼に見えない、大きな力によってきめられてゆくことに、私個人は不気味さを押さえることができない。

 

何やら、ごまめの歯ぎしりのような感、無きにしも非ずだが、ささやかに心を共有できるような感性の方々と連帯しながら、穏やかに今を生きる術を、日々生活しながら考え続けたい。

 

ハムレットはいう、この天と地との間には、哲学など及びもつかにことがあるものだ、と。まさに、一寸先の未来は全く予断を許さないことが、起こる懸念をぬぐえない時代の年の瀬だという気はするものの、悲観的になる愚だけは避けたいと私は考える、五十鈴川だより。

 

昨日の午後ひとりで、葱の種をポットに入れる単純作業をした。風もなくそんなに寒くもなく、一人山を歩くような感覚で過ごしたのだが、慌ただしき浮世をしばし沈思黙考するには最高の時間を、職場で過した。

 

 

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