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2013-12-15

2013年、師走半ばの日曜日の朝に思う

開墾する前の休耕地

日曜日、それも師走も半ばの。世間のことはともかく私自身はこの間も書いたが、なんともはや穏やかな夜明け前の朝を迎えている。仕事は御休み、お礼のお手紙や何かとやらねばならぬことはあるけれども、起きてからの数時間はいわば、晩年時間の至福のひとときである。

 

昨夜は母が泊りにきて、何かと楽しい時間を過ごし、いつものように母に指圧湿布をしてもらい、母に作ってもらったペットボトル(を布でくるんだ)の湯たんぽでぐっすりと休んだせいか、ことのほか快調な朝を迎えることができ、ありがたき幸せである。

 

長女が来年の秋結婚する予定、二女は成人式、家族の時間というものもやがては自然の摂理にしたがって緩やかに変わってゆく。だからこそ今の時間というものを大切にしたいとの思いは私の中でますます強くなってきている。

 

また働き始めたとはいえ、家から近いし健康でありさえすれば、これ以上には望めないほどの仕事に巡り合い、この間も書いたが、私としてはもっともストレスなき穏やかな日々を過ごしている。母や、妻や、娘と和気あいあい過ごせる時間というものは、長い人生そんなには多くない、限られている。

 

話は変わるが、2011年秋、マイコプラズマ肺炎で、10日間人生で初めて入院したことがある。その時このまま死んだらと少し考えたとき、私は8割は満足だがもう少し生きたいと考えた。

 

残りの2割は何だったか、うまくは説明できない。その残りの2割を、今考えながら生きているといってもいい。生きて考えているからこそ、介護の資格をとったり、企画する内容も変化したり、農の仕事にも巡り合ったのではないかと考えている。

 

夢が原を辞める覚悟を決めてから、丸二年が経つのだが、こんな2年後を迎えていようとは、思いもしなかった。これまで5回ほどの私にとっての大きな転機を経験してきたが、可能なら今後はもうそのような経験はしたくない、なんて考えてもやはり物事はそうは問屋がおろさないだろうと考える。だからこそ、普段が大事だ。

 

人生、悲喜こもごもだからこそ、感動もあるわけなのだから、茨の道ではあっても、自分で選択し歩んだのであれば、おのれを信じて歩むしかないというのが、偽らざる私の今の気持ちである。

1 件のコメント:

  1. やっぱり ここに書きこむのが ベストだと思いますので(笑)

    ニキータ・ミハルコフ監督の三部作 「太陽に灼かれて」「戦火のナージャ」・・・の完結編
    「遙かなる勝利へ」 上映がはじまりました。岡山でも たぶん 来年の前半には シネマクレールで。

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