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2012-11-05

結婚25周年に思う

妻が育てている雨のなかのバラの花

妻と結婚して25年が過ぎました。妻のことはほとんどこのブログで書いたことはありません。とうに青春の終わりも過ぎようとしていた、33歳の途方に暮れていたあの頃、妻と出会いました。あの日のことは鮮明に覚えています。娘たちにその日の出来事の一部始終を、いつの日にか、書いておきたいという気持ちも少しあります。が今はまだ恥ずかしくて、とても書く気が起きないというのが正直なところです。

 

妻と出会って、私の人生は決定的に変化したと思います。異性として初めて、心からの安ど感に包まれたからです。妻は私の人生にいつも希望の日を灯し続けてくれている、無二の人です。もし妻と出会わなかったら、おそらく私には、その後の今に至る27年間、このようなある種満たされた人生の時間は、永遠に訪れなかったのではないかとさえ思います。

 

妻は、私より8歳年下です。私とは正反対といっても過言ではないほどに、あらゆる意味で、(私は今でも驚くのですが)異なっています。冷静沈着、私の欠点を補って余りある、湖のように穏やかな性格の持ち主です。生きてきた環境も、趣味や好きなことなんかも、共通点はそんなに多くはありません。しかし、ひとつ屋根の下で、なにはともあれ25年も過すことができたのは、やはり妻の器量の大きさが、あったればこそなのだと素直に感謝するしかない私です。

 

書きながら、いま思うのは子供たちが独り立ちし、これからの晩年を夫婦で穏やかに過ごすためには、私が相当に変わらなければいけないのではないかということです。一言でいえば、これまでのように、妻には私が何かをすることのよっての、心労も含めた一切の負担をかけたくはないということです。

 

企画をするということは、家族と共に過ごす時間が限りなく少なくなるということですし、あらゆる経済的なリスクが伴いますから、妻の側からすると、いろんな思いが去来してきたことは、想像に難くありません。還暦を機にして、ようやっとそんな妻に対して、私も少し思いやれるようにはなってきつつあるのを、ゆるやかに自覚します。

 

最近妻は、仕事のかたわらガーデニングにいそしんでいるのですが、そのことに打ち込む熱さは、まるで妻の意外な面を垣間見るかのようで、私を驚かせています。ヒトは変わる。人間は年齢を重ねるにつけ、長年共に暮らしてはいても、意外な世界を見つけて日々慎ましくも、いきいきしている妻を見るのは、つれあいとして、これ以上の喜びはありません。

 

また、一年前から我が家の家族の一員になった愛犬メルに接する妻の態度は、またもや私に妻の新しい側面を見るのに充分でした。

 

妻との共通の楽しみの時間をこれからは見つけてゆきたいという思いが、膨らんできているのです。それはこの21年間岡山にやってきて過した時間が、もうこれ以上には望めないほどに、ある種自分の限界を超えるくらいに完全燃焼できたという思いにも、満たされているからだとも思います。

 

 

 

 

 

 

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