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2012-11-24

円通寺に土取りさんの演歌が響きます


いよいよおそらく、還暦最後の私にとっての大きな企画なるであろう、土取利行さんによる、邦楽番外地の独演会が明日に迫った。土取さんは今日の午後から岡山に入り、とにかく先ず円通寺を訪ねることにしている。

 

いつの日か、ゆっくり振り返ることがあるとしたら、この一年はやはり特別な一年を生きた年として、深く刻まれるようになると思う。土取さんとお付き合いする中で、添田唖蝉坊・知道という、明治大正期の未知の唄の世界を知り、良寛さんが修業をした円通寺を(唄を唄わなくなった)唖蝉坊が四国のお遍路の帰りに円通寺を訪ねていることから、今回の公演を企画する運びとなった。

 

機縁運命、何かの流れの中に自分は生かされているという思いが、ようやっと少しは深く感じられる還暦にこのような、自分にとってとても大きな意味の在る企画ができるということは何かの巡り合わせということを感じてしまうのだ。

 

いい年にして、パンを得るのに忙しく、不勉強の私が遅ればせながら、良寛さんの世界を少しかじり始めたのは最近だ。日本のいわゆる、夏目漱石をはじめとするそうそうたる知識人に、多大な影響を与え続けている、良寛という希有な時代が生んだ禅僧の存在は、これをきっかけにして、私ごときにも何かの影響を与えてくださるような予感が生まれはじめている。

 

来年から、本格的に還る世界に分けいってゆく私としては、老いてゆく中での滋養のように染み入ってゆく豊かさを一滴でも感じながら、激動の時代を生きた偉大な先人に学びたいという気持ちが湧いてきつつあるのだ。

 

何故かなりのエネルギーと時間を割いて、企画をするのかという根源的な自分自身に対する問いは、年齢を重ねるにつれて深まっている。それは現代を生きている自分自身が、日本について、日本の歴史についてあまりにも、無知蒙昧であるということに関しての自覚の深まりである。

 

知らねば何事も前には進まないのだ。謙虚に知るということの重みが、乏しい能力の肩にいささか、過重にかかっているのを感じながらも、その感じる何かにすがりつつ、時の流れの中で、邦楽番外地も企画しているわけです。

 

 

 

 
二月岩手県大槌町でがれきの撤去作業

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