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2019-09-07

次女の結婚式の日の前日レイさんからこれまでの人生で最もうれしいプレゼントをいただきました、そして想う。

トマムから帰ってきて六日、ようやく時差ボケが無くなり、普段の生活を取り戻している。4日以上五十鈴川だよりを書かないのは、旅でもしない限り珍しいのだが、やはりどこかにうれしさのあまりや、年甲斐もなく興奮したりの連続で、疲れが蓄積していたのであろう。

だがしかし、ブログは書かなかったもののアルバイトも塾もきちんと(その他のことも)こなして迎えた土曜日なので、ああ今日は五十鈴川だよりが書ける朝なのだと思うとただただ、ささやかに嬉しい。

人間は水泳しながら、ピアノの稽古はできないだ、24時間は普遍、ならば何かを削るしかない。五十鈴川だよりを書くことを控え、睡眠を多くとることにしていたのである。

とにかく、アウトドア仕事で体を動かし、細い体に栄養を入れ、身も心も休ませる。そして空いた時間は、琴線に触れる文字を書いたり、本を読んだりして過ごして、一回であれ数回であれ弓の素引きをする。そして時間を気にせず書きたくなったら五十鈴川だよりを書く。

無理をしないで、(でもまだどこかに外見はともかく、自分の中に青い自分がかすかに残っていて、忘れて無理をしてしまう)と初老の体に言い聞かせながら、ゆるゆると流れ下る五十鈴川だよりなのである。

話は変わる。トマムで長女の旦那さんレイ君から、7カ月遅れたが、私の67歳のお誕生日プレゼントをいただいた。それは本になった五十鈴川だよりである。Volume1平成23年3月~平成25年間3月までの2年間、私が書いた 五十鈴川だより。Edited and printed with love,foryour67歳 birthday  Your Machi,Moe, Noah,and Rayとあった。

A4サイズでズシリと重い(これからも可能な限り書きます)
これまで生きてきた中で、最もうれしいプレゼント、ヴァーチャル空間から抜け出てそれが今手元にある。よもやまさかこのような形で手渡されるとは、それも新しい家族に加わる次女の結婚式で。きっとほとんどの煩雑な雑事を義理の息子のレイさんがやってくれたのに違いない。

この五十鈴川だよりを立ち上げてくれたのもレイさん。現代は家族が漂流しているのではと思えるほど、どこか家族が受難の様相を一見呈しているかのように思える世相のさなか、このような相手を思いやる手間暇惜しまない手作りの一品をいただくと、感動する。ほかに言葉がない。そして、家族とは?と初老男は考えるのである。家族と出会えた運命に感謝するのである。

これ以上つまびらかには書かないが、このビッグなプレゼントは、とにもかくにも意志の弱い私が何はともあれ書き続けてきたことに対するお祝いの品であると心から長女家族と次女に対しての感謝を、五十鈴川だよりにきちんと書いておきたい。

このプレゼントはこれからいつも私の机の上に在り、これから先の私の行く末の羅針盤になってくれそうな無言の光を放つ宝である。


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