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2019-09-20

秋の到来、今週末から数日故郷に帰還することにしました、そして想う。

灯火親しむ秋の到来を、本当に待ち望んだ秋がやってきた。あの暑い夏をのりきった、午前中肉体労働者の私にとって、この朝の涼しき時間帯はオーバーではなく天国のように思える、さわやかさである。

タイムカードも何もない、自己の判断で4時間緩やかに途中適度にお休みしながら、身体がオーバーヒートしないように、細心の注意をはらいながら動く。この夏も何日か堪えた日があったが、加減しながら乗り切った。(幸い信頼されていて皆さん暖かい)

都会に住む現代人は、科学的なデータとかに沿ってトレーニングをするのだろうが、昔人、私の場合はほとんど非科学的自己流(これはあらゆることに通じているなあ)アルバイトをしながら、今日の体動かし、といった按配で体調をはかっている。

体動かしができる間は、どこかで遊声塾が続けられるといった気持ちが連動、働いている。丹田呼吸をしながらの体動かし、秋の青空の下での早朝の体動かし、お休み時間は誰もいないところで天空に向かって諳んじている台詞を放ったりして一人遊び。
五十鈴川のほとりでの思索時間が必要です。

こんな私を人が見たら、気の触れた初老男と思われるだろう。だがもういいのである。社会的な役割はほとんど終えたのであるから、人様に迷惑をかけない範囲で、できるだけお金に依存せず、自分の体と遊ぶのである。

ここまで書いて、ふと小学校2年生か3年生のころ兄貴たちが、深いところをすいすい泳ぐのをしり目に、私は背の立つ浅いところで、見よう見まねを繰り返し、何とか独学で泳ぎを覚えた記憶が蘇る。五十鈴川で初めて泳ぎを覚えたあの日の喜びが。

まだ学校にプールなどなかった時代、自力と他力で私は水に浮かぶ我流泳ぎを身に着けたのである。そのことがいまだにどこかで尾を引いている自己認識がある。あのころのなにか原点が、いまだに自分の中に(ある種天邪鬼的なまでに)あるのだ。

曲がりくねった埃のたつ戦後の未舗装の道、夏休み歩いて片道2キロ、泳ぎたくて晴れた日は毎日のように、小学校5年生まで五十鈴川に向かった。やがて泳ぎだけではなくエビを採ったり魚を取ったりすることも自然に覚えた。じもとのこども、男女全員が蝉しぐれのなか水と戯れ泳いでいた。帰り道に飲んだしみわたる湧き水のおいしさ、私には黄金の夏の宝の記憶というしかない。

あのころ鮎をはじめ多種類の川魚が五十鈴川にはわんさかいた(いまもかろうじているのが救いである)おもちゃなどなくとも、ヒトには神が想像力という遊べる力を与えてくださっている。人工的なものがほとんどなかったあの時代に私は育った。

思う、あらゆる森羅万象存在に有形無形影響を受けながら、自然と宇宙と自分が不即不離であること水の惑星に存在している有難さをおのずと実感する。その過程で他者と出合い自分を発見し成長する。

しかるに現代は?もうこれ以上野暮な初老男のつぶやきは止しとする。今週末から、お天気が悪そうだが数日お墓参りがてら五十鈴川に帰還する。

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