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2019-09-15

明日の市民手作り映画撮影を前にして想う、五十鈴川だより。

5時前には目が覚め、起きて新聞を取りに行った時には見事なほぼ満月の月が、西の空にぽっかりとうかんでいた。おそらく今日の夕方には見事な中秋の月が再び望めることを願う朝である。

ところで、今週と来週は3連休が続くが、遠出しようとは思っていない。真夏に甲子園はじめ、小さな旅を繰り返したのでその反動が出たのではなく、静かな週末時間を過ごしているのには、ちょっとしたわけがある。

それは、明日と、今月末と2回ほど市民手作り映画の撮影があるからである。かって長島愛生園の中にあったという高校の教頭先生役で出演している。出番は少ないものの、重要な役であるので、静かに過ごしているのである。

学生の方々はじめ私も含めすべて市民手作りの映画である。私の場合平日は半日働いているので、出番の日の撮影は休日にしてくださっているのである。だから、明日に供えて台詞は少ないのだが、できる限りK教頭先生役の抱える苦悩に寄り添いたいという心理がどこかに働くのである。
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その日の撮影の間は、どこかで日常生活を断ち切り、フィクションの中での架空の人物になりきるための変身時間が、私の場合はどうしても必要である。

やさしさと、頑固なまでの非情さが同居しているK教頭先生役の、私なりのモデルは私の父の在りし日の姿である。日本統治下の北朝鮮の小学校で両親は教師をしていたが、敗戦で幼い3歳の長女と生後半年の長男と共に、親子4人命からがら引き上げてきて、再び教師として戦後を生き延びた父の在りし日の面影を、かってに役作りの参考にしている。

長くなるので端折るが、ご縁がご縁を呼び、このような形でよもやまさかの先生役での映画出演。亡き父の言動、姿から、ようやく最近年齢と共に父の気持ちがわかってきたことを、わずかでも表現できればと思うのである。

私の中では元気なころの父の声色が、いまだ蘇る。私の脳裡の中、両親は在りし日の姿と共に生きているのである。今回たまたま巡り合えた先生役、亡き父の面影をほんのわずかでも投影出来たらと、想うのである。

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