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2019-01-25

シェイクスピア遊読輪読会のチラシ原案に、私の思いを入れる言葉を考える。

(2019年、新たにシェイクスピア作品の遊読輪読会を具体的に始めることにした。)
塾生のNさんが作ってくれたチラシ原案

シェイクスピア遊声塾を始めてまる6年、塾生とのレッスンとは別に、もっと多くの未知なる方々と共に、一期一会的にシェイクスピア作品を遊読・輪読する魅力を知ってもらえたら、との思いがにわかに私の中で強く湧き上がってきた。

(私自身これまで生きてきた人生の中で、転機の際、多様なシェイクスピア作品の登場人物の言葉に、生きてゆく勇気、ヒントのようなものを勝手に解釈しながら得てきた。)

人間の実存的な危うさ、生れ落ちた運命の中で、個人が悩み苦しみ格闘する姿を、シェイクスピアの作品群は、初期から後期まで、37本の作品(悲劇・喜劇・歴史劇・浪漫劇など)の中で見事なまでに描いている。その多くの作品群の言葉は国境を飛び越え人の胸を撃つ。

人間存在の絶対的矛盾、根源が浮かび上がる作品群の言葉のあまりの素晴らしさ、その言葉の豊饒さを声に出し続けてきて、老いらくの声ではないが、この歳にしては少し不似合いな、まるで言葉に恋をしているかのようにシェイクスピア作品を読む楽しさが増してきたのである。その思いを未知の方と分かち合いたい。

未知は、あまりの素晴らしさに満ちているという側に私は立つ。シェイクスピア作品を声に出しあう【場】を設けたい理由、人と人がシェイクスピア作品を声に出しあい、出遭いたいのである。



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