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2019-01-14

市原悦子さんがお亡くなりになった、そして想う。

休日の朝、よほどのことがない限りは、まず五十鈴川だよりを綴ってから何とはなしに始動するようになってきつつある今年である。

これから本格的な寒い季節に入ることになるが、しばし冬眠をするかのように過ごしたいという気持ちが私には強い。

春を迎える前の厳冬期のこの季節は、父や母、義父の命日が続きが可能な限り静かな暮らしを心かけたいのである。

私が歳を重ねるにつけ、この季節は逝きし人たちの面影に想いをはせる季節になってきた。

話は変わるが、あのような雰囲気を醸し出す女優はなかなかに顕れないであろう市原悦子さんがお亡くなりになった。

私は20代の終わりのころ、岩波ホールで白石加代子さんと共演した【トロイアの女】を見たことがある。演出は当時早稲田小劇場を主催していた鈴木忠志氏。

今となっては伝説的な舞台である。重心を低くした体から腰の据わったメリハリの利いた言葉が、小さな劇場ではないホールに響き渡り、凛とした 姿が今も記憶に鮮やかに残っている。

作家、あらゆる芸人、芸能者、芸術家はやはり時代の中で生まれ、時代と共に生き、そして消えてゆく運命なのであろう。(人間すべてが)
最近知り合ったからいただいた御本(今年は焚火もしたい)

1970年から1982年まで、私が18歳から30歳までの12年間、想えば多くのいまだ私の脳裡に刻み込まれた、印象的な俳優が存在している。

今遊声塾で声を出しながら、この間に視た、素晴らしい俳優たちのおもいでの残像が時折私の中で蘇る。宝の記憶、そして私に勇気を与える。

そして想う、この12年間の青年期に体験したあらゆる出来事が、今の私の 初老生活を多面的に支えてくれていることを痛感する。

肺腑をえぐるかのように届く名優の情熱的な言葉に、何度も若かった私は打ちのめされたのである。映像作品での市原悦子さんはみることが叶うが、舞台作品はもう永遠に観ることが叶わない。

舞台俳優は生で見ることしかかなわない。わずかその場に居合わせたものしか、だからこそ私には尊く思われる。(私が上京するたびに岩波ホールで映画を見るのはあの当時の記憶が蘇るからなのかもしれない)

DVD・CDほかいくらでも複製コピーによる間接体験的感動が、ほとんどになりつつあるこのご時世、60年代の終わりから70年代にかけて、思春期から青年期を東京で過ごしたなかで、直接観ることがかなった個性的というしかない、名優、怪優、奇優たちのあまりに人間的な存在感が懐かしい。

詩人であり、演劇的な概念をことごとく打ち破るべく新しい演劇に挑み続けた寺山修司は、血は立ったまま眠っているという戯曲を書いている。新劇から前衛劇、アングラ演劇、テント移動演劇、百花繚乱の体の演劇が都内のあらゆるところで、しのぎを削っていた。

新劇の老舗である、俳優座を退団し、前衛劇から映画、テレビと幅広い世界で果敢に生きられた市原悦子さんという存在はもういない。(ささやかに心からのご冥福を五十鈴川だよりに書いておきたい)







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