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2019-01-12

那須塩原に住む友からお手紙をいただき、そして想う。

私が30歳の夏、これからどう生きてゆこうか途方に暮れていた時に、倉本聰氏の北の国からの撮影で使われた富良野の丸太小屋に逗留していた時、(富良野塾に入る前)当時北大生であったI氏からお手紙が届いた。

昨年暮れ、私が送った干し柿のお礼が、すぐ氏とわかる文字で文面がつづられていた。君子の交わりは淡きこと水の如しというが、こういう古い関係性の時折の間接手紙やり取りが、現在の私には最も重宝に感じられ、うれしい。

(老いてゆく中での、落ち着いた時間の中でゆっくりと熟成するかのような、淡いたまさかの互いをおもんぱかる交流 )

この数十年のインターネット革命の渦中をしり目に、何とか生き延び(私は今もその時代の渦中を、その予測もつかない未来社会に、どこかかすかに不安を覚えながらも)今後ますますその渦の中からは、遠くに在りたいと考える初老の輩にとって、お手紙はやはり心の深くに届く。

干し柿が手間暇かかる様に、お手紙もまさにそのように、ゆったりととした時間の中で相手をおもんぱかりながら、書かれたものはおのずと繰り返し読むに値し、じんわりと行間に今現在の彼の暮らしの心境がしのばれる。

出遭って後36年、氏の人生にも様々な風雪があったに相違ないが、ひょうひょうとした温和な物腰や態度は変わらず文面ににじみ出ている。このような激動の時代、移ろいゆかざるを得ないさなかの、関係性の持続は稀な事、ありがたきというしかない。

手紙は立ち止まって、お互いの過ぎし来し方を 想像させる。お正月の五十鈴川だよりに対する、コメントも綴られていてありがたかった。

朋遠方より来たりまた楽しからずやというが、お手紙遠方より来たり、またうれしからずやといったところ。

万年筆や、墨をすってのへなちょこ文字であれ、何か自分らしさが浮かび上がる文面が書けるようになるには、どうしたらいいのかも、またこれからの老い老い生活の楽しみとしたい私である。

デジタルでキィを打って書く、手で文字を刻む。この併用の加減バランスこそが私には望ましい。五十鈴川だよりを書くために始めたキィボードたたきであるが、老いながらも随分と早くたたけるようになった。

もう早く書く必要のない私には、手で文字を書ける今後時間をこそ大切にしたいと考える。I氏に返信を書きたい。


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