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2014-03-03

遥かなる勝利へ、観に行きました

昨日ブログを書き終えた後、母と妻とガーデニングをし、早めにブランチを庭でして、妻と二人でニキ―タ・ミハルコフ監督の【遥かなる勝利へ】を観にシネマクレールに出かけました。

一日に一回、12時05分から一週間しか上映されないために、観逃すとたいへんなことになるので、私にしては用意周到で出かけました。

これはという映画は、私はDVDでも映画館でも可能な限り一人で観るようにしているのですが、この映画は、妻にもどうしても見てほしかったので、妻とゆきました。

19年かけてのひとつの長編作品、映画が始まるまで、黙して始まるのを待ちました。映画が始まり終わるまで、画面に吸いつけられました。まだその余韻の中にいます。

おりしもウクライナと、ロシアの間で緊張が高まっていることが、新聞の一面で取り上げられている日でもありました。映画の内容と、今のウクライナ情勢とは、何の関係もありませんが、観終え今、にわかにきちんと眼を通したくなってきています。

私はニキ―タ監督の大ファンなので、とにかく彼の気宇壮大な映画的世界観を、堪能できるだけで嬉しいのです。久しぶり映画を見て、涙が出ました。

これほどまでに、日本人の私の感性に響いてくる映画人が、現在生きてロシアにいるということ。その監督と同時代に私も生きていて、最新作を観ることができたということの喜びは、筆舌に尽くしがたい。

私は二十代の終わり、シェイクスピアシアターにいたころ、三百人劇場のロシア映画特集で初めてニキ―タ・ミハルコフ監督の【機械仕掛けのためのピアノのための未完成の戯曲】を観て以来、この監督に魅入られました。

以来可能な限り観ています。夢が原で働いていたので、なかなかリアルタイムで観ることはかないませんでしたが、今回は岡さんのお知らせもあり、やはり自然に観ることが叶いました。この年になると、そうは心から観たいと思う作品は、私の場合少ないのです。

今を生きる元気の源は、十代、二十代で、いろんな作品から十二分に堪能、頂いてきましたし、今は過去の名作をDVDで観ることができるがので、過去の作品が今も私にとっては新しいのです。

個人的な資質にもよるのでしょうが、フィクションの場合、観終えてすがすがしくなるような作品がやはり私はどうしても好きなのです。それから戦争を題材にした映画、シンドラーのリストとか、プライベートライアンとか、プラトーンとか、そのほかにもたくさん作られていますが(地獄の黙示録は別)
観た記憶はあっても、頭に残っていないのです。

記憶に残るシーンが多い、いつまでも余韻が残る映画が(自分の感性に響いてくる)私は好きです。エキストラはじめ、俳優たちの珠玉のような演技の素晴らしさには、言葉を失いました。

当たり前ですが、映画は設備の整ったいい映画館でこそ、本当は観るべきものです。だからこそ国立映画館が、必要だと思います。

話がそれました。遥かなる勝利へ、記憶に残る名場面の連続です。ニキ―タマジックが随所にあふれ、そのタッチのこまやかさと、何ともたくましくおおらかな大胆さ、若々しくみずみずしく圧倒されました。

嘘という映画の中に、これだけの命ほとばしらせる真実を、全存在をかけて、命がけで籠める映画作家の情熱、ロシアの広大無辺、大地の美しさの中で、繰り広げられる、愛と裏切りと憎しみ。ロシア革命から第二次世界大戦に至る時代背景の中、人間の存在の愚かさ、残酷さ、酷薄さ、それを乗り越えた主人公コトフの、人間的崇高なまでの美しさ、犠牲ということの意味、ミクロから始まりラストまで、すごい。

脱帽しました。死と生について、生きるということの丸ごと全体を映画に込めるその真摯な何かは、やはりロシア人の歴史独特の魂が宿っているのだということを、私に知らしめました。国もでかいが人間性もでかい、スケール感がけた外れに大きい。

父と娘ナージャとの、幼き日の平和そのものの、繰り返される幸福なシーン、幼かりし頃の我が娘たちとの日々を思い出しました。いつまでもこのような映画が上映され、映画館にこれからの未来人がもっと足を運ぶような国であってほしいと、願わずにはいられません。

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