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2014-03-19

湯上りのわずかな時間、身体の手入れをする

今日は、正味4時間以上、ネギを鎌で刈った。しゃがんでする仕事なので、労働としてはなかなかにこの歳になると、正直しんどい作業なのだが、サンナンの農業は無理なことはゆっくりやるということにしているので、腰を伸ばしては刈り、息を整えては刈りを、ただ一人静かに繰り返していると、おおよそ時間内で終わってしまった。

話は変わるが、女性はお肌の手入れをするが、特に農の仕事を始めてから、自分の体の手入れを以前にもましてするようになってきた。いわゆる我流のストレッチを中心とした体操である。だからなのだと思う、この年齢にしては我ながらよく身体が動いてくれることに感謝している。

そうは言っても、数年前のマイコプラズマ肺炎で本当に懲りたので、昔のようにはあらゆることに関して、無理をしなくなった自分がいる。ゆっくりゆっくり進む楽しみのようなものを、ようやくにして農の仕事から、身体を動かすことで学びつつある。

だから、ネギを刈ることも、植えることも、あらゆる体を動かすという行為が苦にならなくなりつつある。動く体を意識して、動かすということの中で、実に多様な気づきが生まれるのである。そうなると労働は楽しみに変化する。

何よりもサンナンの上司は、人間を大切に使ってくださるので、職場環境としては実にありがたいというほかはない。人間は信頼されると、仇やおろそかなことはできない、気持ちよく働くということが、いかに大切であるかということだ。

話を体操に戻すと、最近は呼吸を意識的にするということも心懸けている。俗にいう腹式呼吸。呼吸が浅いと声も出ないし、全身に気が満ちないような気がするのである。若いころから呼吸が浅いという自覚があったのだが、ストレッチをしながら、息を吐きながら静かに力を抜き、身体を地球に預ける。
なんともすごい雑草の根

なかなかに長くはやれなくても、わずか20分意識してやるだけで、気の流れがよくなり、身体が軽くなるので、私としては自分の身体に感謝するという意味でも、つとめてやるようにしている。

ささやかな小さき器も、磨くか磨かないかで、まるで違うのである。こればかりは継続実践しながら、自分の未知の時間のこれからの身体と向かい合う中で、何かが見つかれば楽しいではないか。

よしんば、見つけられなくとそれはそれで構わないではないか。要はその過程の中で、ああだこうだと、何か身体が喜ぶほうへ、自分自身を運んでゆけば、おのずと身体の方が教えてくれるような気が最近はしている。

身体を動かすことも、声を出すことも、要は無意味に楽しく遊ぶことが、一番肝要なことなのであると、私は感じている。



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