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2013-10-28

Y氏からオロのチケットの申し込みがあった朝に思う

牛窓の休耕地の青い空

時が充実して流れてゆく秋を送っている。こうやって何げなく健康に、61歳の秋を迎えられているということへの朝日が昇ってくる前の、感謝の朝である。

 

私がメールをほとんどしないせいか、私にはメールがあまり来ない。がときおりはくるので、チェックはする。先ほど開いたら、Y氏からオロのチケットの申し込みが入っていた。それも5枚も。

 

Y氏とは昨年、土取利行さんの演歌を企画(西大寺観音院での)してからの出会いだから、まだそんなに長いお付き合いではない。私の経験しえないような誠実な人生を歩んでこられた気配が言葉の端々に感じられる方で、何よりも物事をきちんと深く勉強されている。

 

演歌や、オロを企画しない限り、こういう方とはなかなかお目にかかる機会は得られない。マイナーな企画をきちんと受け止めてくださる、得難い見(賢)者に、出会いたいという心もちが私の中にはある。

 

それは、私自身がこれまでの自分とは決別(そんなに大げさなものではありません)したいという、ささやかな思いの表れなのかも、安全な企画ではなく、もう少し冒険、挑戦してゆく中での人との出会いを無意識にも求めているのかもしれません。

 

企画をするということは、(生きてゆくということは)新たな自分自身との出会いでもあり、他者との出会いでもある、ということが言える気がします。人は人によって磨かれてゆく。ひょっとすると、これが人間にとって最も幸せで、贅沢なことなのかもしれません。

 

10月から始めた仕事もそうですが、私にとっては初めて経験する事ばかりなのですが、そのことがいい意味で私をかなり活性化している、という自覚がある。もうこれから、ある種の挑戦的な仕事は、限られた人生時間の中では、肉体的年齢的にも稀なことだと思っている。

 

できなくなってからでは遅いし、悔いが残る。オーバーですがそんな心持で働き始め4週間が過ぎました。少々しんどくても、やる気のあるスタッフと働けるということがこんなにも気持ちがいいという、極めて当たり前のことを感じている。

 

企画も、声を出すことも、私にとってはすべて同じ、生きて動いて、出逢って働く。身も心も活性化して過ごす(せる)ということが私にとっての幸福である。


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