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2013-10-19

電子画面を利用しながらも、限りなく私はリアルワールドを愛する


一月前に書いたブログをたまたま読んでみたのだが、たかだか個人の今を生きる情況でさえ、表層的にかなりな変化が起こるのだから、世界や世の中が刻一刻と変化するのは、致し方の無い摂理というしかない。

 

私が青春時代からかなりな影響を受けた、藤原新也さんのWMのトークを私は個人的に愛読している。いつも深い問題提議や、私なんかには及びもつかないような知的胆力やユーモアのある読者からの投稿が多く寄せられていて、ひとつの情報に偏らない、いい意味でのおおらかなコミュニティWMとして画期的に機能していて、凡愚の私としては3・11以降のメディアとしてはなはだ重宝している。

 

それは一言でいえば、藤原新也さんの個性に負うところがほとんどだと思う。会員数を2000名に限定しているWMだが、船長である藤原さんが、反省力も含めてキャットウォーク会員には自然体で普通の姿をさらしている。

 

今週は藤原さんと会員の方々との門司でのOFF会(北海道や山梨でも行われた)の(参加は出来なかったが)様子や、多岐にわたる読み応えのある投稿が多数寄せられていて、深く考えさせられる。私は藤原さんの一ファンに過ぎないが、怜悧に時代の流れの中での人と人とのコミュニケーション問題についてWMを通じて発信し、より本質的な人と人とが繋がるということに関しての、現代における哲学的な実験が行われている、というふうに私は受けとめている。

 

311以後、急きょ発刊され今に至っているのだが、個人的にささやかに私も企画をする側のひとりの人間として、いやでも応でもいろんなことを考えさせられるのだ。

 

電子メディアでブログを書いていながら(そのほかのソーシャルメディアはやる気が起きない、ツイッターやフェイスブック、ラインなどの)はなはだ矛盾するのだが、本当の人と人との繋がりはやはり面と向かっての、いったい一の人と人との間にしか成立しえないという側に私は立つものである。

 

論旨に脈絡がないが、藤原さんのWMの電子画面の文字を読みながら、そして私自身こうやって
電子画面に文字を書き連ねながら、限りなく矛盾するが、電子画面からは遠くの世界の側に往きたいという衝動に駆られるのである。

 

土に触りたくなり、風の音や、潮騒の音、川の流れる音がききたくなり、この間も書いたが人間が創れない世界の側に限り飽く身を置きたくなるのだ。

 

 

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