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2013-10-11

M氏の冥福を祈る朝

今朝咲いていた我が家の白いバラ

ブログをかき始めて、間もなく4年になる。ほかの方のブログは知らないのだが、私のブログはほとんどコメントがないので、どのような方が読んでくれているのか皆目分からないのが、正直少し残念。

 

これまで一番コメントをくださった岡さんは、すべて実名でくださっている。他の方は匿名である。

 

私の性格としては実名でブログを書いているので、実名でのコメントがほしいのだが、やはりそうもいかない何かがあるのだろう。五十鈴川だよりになってから、肩に力が入らなくなってきたのだが、日々、日録的に書きつづる、自己慰安ブログだから、まあ良しとしよう。

 

今朝は雨音で眼覚め、洗濯機を回す前に、お湯を温め朝湯に入ってさっぱりしてから、おもむろに静かなひとときを過ごしている。コーヒーを飲みながら何とはなしに、拙き一文を綴れるひとときが、ことのほか私は好きである。

 

読み書き働き声を出し、たまさかの企画と旅。これが理想ではあるが、ままならぬは、ままならぬなりにやり過ごす、がその間、いつの日にかと機をうかがう。その努力は元気な間は怠ってはならない。

 

ところで、詳しくは記さないが、先日岩手の遠野で昨年出会った印象にのこる方が、お亡くなりになったというお葉書を、その方の奥さまから頂いた。きれいな文字で丁寧に書かれていた。

 

私とほぼ同年代の方の突然の予期しない死、たまさかのわずかな出会いなのに知らせてくださった重みを静かに受け止めている。遠野にゆかなければわれわれはけっして出会うことはなかった。出会いと別れは、こうもあっけなく訪れる。

 

人生の往く先が、かすかに実感として感じられるようになる頃から、人はこれまでの人生の歩みの上に、彼もこれから何事かを為そうとしていた、矢さきであったろう。そのことを私なりに受け止める。二回しかあったことがないのに、私の企画を遠方からいきなり応援して下さった。

 

命がかくも軽んぜられる時代。超高速機器でお互い監視、監視される時代の危機。国益,あらゆる権益利益、発展幻想、私利私欲の果ての疑心暗鬼、諸行無常は歴史が語っている。

 

夜明け前、Mさんの冥福を静かに祈る。

 

 


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