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2013-10-14

新聞記事の中に時代遅れになった現代人という言葉を見つけみにつまされました

このようなノートがずいぶんたまったきました

何度も書いているが、私のささやかな楽しみは新聞記事の中に、切り抜きたくなるような記事をひとつでも見つけることである。気分転換や空いた時間の折々に、もう10年くらいになるのではないかと思う。

 

やはり何事も続けている中で、板についてくることがあるのだということを感じる最近だ。とくにこの10年は子育て中心であり、私のお小遣いは限られていたので、お金を使わずに楽しめなおかつ、刺激を受けるのだから助かった。今では趣味のような感じになりつつある。

 

新聞はやはり私にとっては、いまだ社会の窓である。中でも書評を切り抜くということが多いのは、こんなにも本が出版されるのに、人生の時間は限られており、ほとんど読めないがために、せめて心ある書評家の本を読むことで、溜飲を下げているのである。

 

さて、106日の書評で松原隆一郎さんが、鈴木宣弘著・食の戦争(文春新書)を取り上げている。TPPを入り口に、現代の最先端の、そしてこれからの食に関する、まさに戦争状態の内実のあれやこれやが、実に分かりやすく説得力を持って書かれていて勉強になった。

 

また、フランスのオルセー大学の、セルジュ・ラトゥーシュ教授が脱成長への道という特集に一文を寄稿していて一読おもわず切り抜いたのだが(関心のある方は、毎日新聞のパラダイムシフトを検索して下さい)心から膝を打つに値する一文だった。

 

その中で、古代ギリシャにおいて理想的な生活とされた・観照的な生活(静けさの中で物事の在り方について思索する哲学的な生活)を再発見する。速度への執着から解放され、時間と生活の奪還へと向かわなければなりません、とあった。

 

まさにその通りだと私は思うものである。物質的にいくら所有しても豊かさはえられないのだということに、気づく意識のパラダイムシフトが起こらないと、おそらく人類は滅びるだろう。私の朝ブログではとても伝えきれないが、最後にもう一つだけ。

 

1945年、818日のサタデー・レヴュー紙にアメリカのジャーナリスト、ノーマン・カズンズは、・時代遅れになった現代人・という記事を発表しました。カズンズによれば、人間は、原子力エネルギーの恩恵を享受しながら、その潜在的な危険性を統御できるだけの能力を備えてはいません、とある。

 

まさに、身につまされる。

 

 

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