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2013-10-21

【オロと祝の島】上映会までひと月をきった朝に思う

亡き父愛用の硯

がんばろう日本とか、絆とかいう言葉が311以降、やたら飛び交う世相ですが、藤原新也さんもWMで、震災前は無縁社会で、いよいよ世の中は絶縁社会になってきつつあるのではということを書かれています。

 

何故企画をするのかということを、凡愚の私としてもときおりやはり考える。言葉では伝えられない、見たり聴いたりして何かを感じてもらいたいから企画をしたりしているわけなのだが、自分なりに、当日来てくださる方々の直接顔が見える範囲での企画をこの数年、特に311位後やりたくなってきている。

 

自主企画には、自分の時間を割き、経済行為も付きまとうので、仕事をしながらの私としては道なき道を往くと言った按配で、なかなかに難しいのだが、それでもこの数年なんとかやれているのは、家族の理解あってのことである。それと私は他に旅以外、お金を使うことが、ほとんどない。

 

この21年、たまさかの旅(これもほとんど企画をするための旅)以外、自分の時間とお小遣いのほとんどは企画をするために使ってきた。それが私の生きがいでもあった。

 

自分が今生きている生活、人生の中で、たまたま見ることができ、聴くことができた何か人間の根源的な豊かさを感じる作品や、心が満たされ感動したアーティストを、企画することで自分自身が救われてきた。

 

そんな企画人生なのだが、数ではなく、ささやかな人数の上映会や、音楽会なんかを企画したくなってきている。限りなく経済行為には見合わない行為だが、それが私にとっての旅の変形のようなものと考えて、この10年くらい企画している。だから年数回しか企画できない。

 

せいぜいこれからも年にわずかしか企画できないかもしれないが、子育てが終わり、元気に働ける間は、人と人との繋がりや関係性の中で、生の確認ができるような企画を心のどこかに余裕のあるうちは、続けたいという希望を持っている。

 

ところで、今回の上映会の企画に関東方面から、避難移住しておられる方から、チケットの問い合わせが数人来ている。岡山にも福島をはじめとする東北の被災地から移住されている方からの問い合わせは初めてだった。祝の島だから反応されたのかもしれない。冷静に考えれば、考えるほどに一歩間違えば取り返しがつかない時代に我々は、放り出され生きている。

 

今回の2本のフィルムの上映会は、私ごときが企画するには荷の重いフィルムなのだが、2本とも縁があって企画しているし、何よりも人との繋がりや、人間にとっての無くしてはならない崇高な尊厳に満ちたフィルムなので、微力を尽くし一人でもきていただくためこうやってブログを書かずにはいられない。

 

 

 

 

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