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2022-10-07

沖縄の那覇の個展会場で桑江良健さん、純子さんと再会しました。そして想う。

 昨日午前10時15分、沖縄についてモノレールで安里(あさと)へ。娘たちがまだ小さいときに訪れて以来の沖縄。ホテルに荷物を預け、すぐにパレットという県庁前にある大きなデパートの6階で開かれている、桑江良健さんの個展会場に向かった。こじんまりとしたスペースの会場に、氏独特というしかない作品群が掲げられていた。

多分良健さんと会うのは、我が家での葉書サイズの展示会以来である。パートナーの純子さん共々、相応に歳を重ねておられてはいたが、絵はもとより門外漢の遠来の珍客を、まったくおかわりなく笑顔で迎えてくださった。暫し作品群に視いる。独特というしかない、形、色彩、無限に創造的にキャンバスを埋め尽くす、沖縄の人々、家族、風景、裸婦、家、植物。樹木等々が。

ともあれ、このような唯一無二の作品を産み出す、桑江良健さんという画家と、ひょんな縁で出会って以来、縁が切れずにこのような形で、時おり再会が持続しているのが何故なのかは、自分でもよくわからない。だが、はっきりと五十鈴川だよりに打っておきたいのは、途方なまでに、頑固一途な画業時間を費やしてきた生まれてきた作品群を眼前にして、私は言葉を失うのである。

言葉を凌駕してあまりある作品を前にして、ただ私は脱帽し頭を垂れ感動し、打たれてしまうのである。まさに絵を描くために生まれてきた男というしかない。何故そのような男が沖縄の歴史、風土から生まれてきたのか。そのことの一端をほんのわずかでも知りたく、私は今回の個展に足を運んだのかも知れない。

私も古希を迎え、以前の稚拙な私ではなく、幾ばくかは歳を重ね、氏の画業に対する常軌を逸したかのような打ち込みの、佐藤優氏の言葉を借りれば、内在的論理が幾ばくかは感じ取れるようになってきたからではないかと、考えている。けっして手前みそで言っているのではない。そういう思いがあるからこそ、多分、氏の発する寡黙な向こう側の息づかい、業の深さ、思いの深さ、もっと言えば生半可ではない絶望の深さを、私は感じてしまうのである。

だが、絶望という言葉を、言葉尻でとらえたら浅い理解で終わってしまう危惧を私は覚える。私が良健さんにいたく魅いられるのは、その余人には理解不可能な絶望と真反対の人間に対する希望、未来への兆しのようなものを、あの物言いに感じるからである。

個展会場です。

私にとって沖縄は、桑江御夫妻をおいて、他にはいない。二人で一対の人間なのである。桑江良健さんの絵は、至らない私を沖縄から照らす。お会いする度に、今をきちんと生きていますかと、問われているような気がするのである。あの一見おおホラ吹きと自分では謙遜しているが、絵に込めた業の純粋さ深さは、門外漢の私でさえ、比類ない画家の存在力でもって圧倒されるのだ。氏の老いつつも枯れない絵に込めたオーラを浴びて、私もささやかに、何かを企画したくなる、のだ。(PS 夜御夫妻に沖縄の夕飯をご馳走していただきました。お昼は友人差し入れのお弁当をいただきました。完食しました。)


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