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2022-10-05

一般道を往復運転し、先週末ふるさとに帰省古希の旅をしてきました。そして想う。

10月に入って最初の五十鈴川だよりである。先週金曜日早朝から、車でふるさとに向けて運転し、日曜日午後9時過ぎに無事に帰ってきた。月曜、火曜と働いたので、落ち着いて五十鈴川だよりを打つことができなかったのである。

実は心のなかで、3日間でふるさと往復1200キロを運転するのは、少し不安であったし、妻にはちょっと、秋なので遠出すると伝え、ふるさとに帰るとは言えず、そっと家を出たのである。前日オイルを交換、タイヤやその他のチェックも済ませ、準備はしていた。(非常食、飲み物他)

私はこの数年、ほとんど高速道路を走らなくなった。自分の判断力、反射神経の衰えを感じているからである。万が一事故になったら、まず大変だからである。命は買えないのだ。したがって、ゆっくりと自分では安全だと思える普通の速度で一般道を走る。一般道路であれば、休息さえきちんととって安全運転を心かければ、事故に遭う確率は、普段の暮らしの中での運転と大差ないと考える。死ぬ確率は高速道路よりずっと低い。

信号待ち他、都市部を抜けるのは時間がかかる。だから私は呟く。リア王の台詞のように、神よ老人の私に忍耐を与えたまへ、と。音楽を聴きながら妄想老人は走る。車はコロナパンデミックが始まった頃、買い換えて普通車にした。シートを倒せば車内で横になって仮眠ができるようになっている。
小泉八雲記念館で求めました



広島まで走り、宮島のコンビニでゆっくりと休んでいたら、急にやはりお墓参りに帰りたくなった。兄に電話をしたら驚いていたが、嬉しそうな声で、とにかく安全運転で無理をするなと、当たり前なお返事。それから二時間に一度くらいの休憩をコンビニでとりながら、お昼過ぎ関門海峡を越え昼食、長めの休憩本を読んで昼寝、目覚めコーヒータイムをして、別府大分と走った。

日が暮れ、夜の運転は、このところほとんどしたことがないので、余計に慎重に運転し、大分で夕食を済ませ、再び少し横になって、両親がなくなって以後のこの20年、よく運転した大分から延岡に抜けるよく知っている、通行量の少ない道を走って午後10時無事に兄の家に着いた。

西大寺を出たのが朝の5時過ぎ。日にちが変わる前にたどり着いた。翌朝となりの姉の家を訪ねると、姉はビックリしていたが、愚弟の里帰りを喜んでくれた。義理の姉の美味しい朝御飯をいただき、すぐに姉と共にお墓参りにいった。お墓参りに帰ったのだから、もう目的は達した。

その日は終日兄の家で体を休め、姉と義理の姉が作ってくれる美味しい家庭料理の昼食を堪能し、兄たち姉たちと語らい会う時間を持ち、急な帰省の喜びに浸ることができた。午後、義理の姉が作ってくれた鯵のお寿司や、姉がくれたお土産を積み岡山に帰る準備を済ませ、兄夫婦と外食の夕飯を済ませ早めに寝た。日付が変わった真夜中地震で目が覚めた。兄も起きていたので、お礼を伝え予定より早く岡山に向かって故郷をあとにした。

関門海峡を抜けるまで、日曜日だったので車が少なく、途中何回かお休みしながら、コンビニで熱いコーヒーを飲みスムースに運転することができた。西日本に入ったら安堵l感におそわれ、下関で数時間仮眠した。

下関からは191号線で萩をぬけ、なんとも美しい入り江の日本海の海を眺めながら、9号線を走り、浜田の道の駅で日本海を眺めながら昼食休憩し、午後3時に島根、松江に入り、以前からゆきたかった小泉八雲記念館を訪ねた。ゆっくりと2時間近くをすごし、松江から新見へと抜け、岡山に入り高梁から総社を走り午後9時過ぎ、無事に帰ってきた。すぐに兄にメールを打った。

頭はまだ冴えていたが、一気に疲れが出てお風呂に入ってすぐに横になった。ちょっと時間的にはハードな古希の帰省旅となったが、兄や姉、義理の兄姉とも年を重ねたもの同士の、まさに一期一会の時間を過ごせたことが、ありがたかった。なにはなくとも、お互い元気で今をいきられていることを確認し、会えただけでも、私としてはいうに言えない満足旅となった事を、なんとしても五十鈴川だよりに打っておきたい。

老いてゆくなかでの、オーバーかもしれないが、私にとってささやかな冒険帰省旅であったのだ。コロナ渦中、古希を無事に迎えられたことに対する、自己満足帰省旅がしたかったのである。今現在の体力やあらゆる事を総合的に勘案しながらの老いゆくドライブ旅は、これからの70代をいかに生きてゆくのか、そのための出発点の旅となったように思える。

私だって無謀なことはしたくない。家族に心配をかけたくはない。やがては新幹線での墓参りになるのは承知しているが、今はまだ運転できるし、何よりも自由自在時間が、自分の判断で可能なのだから、やれるときにやっておかねばとのわがままが、言わば私の贅沢なのである。お金では変えない喜びを、我が体はこれまでの人生で体得したのである。自虐的ではまったくなく、今回の旅で今後の生き方の方向性がくっきりと見えてきたように思える。


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