ページ

2022-10-29

古希のこれからは松岡和子先生の翻訳で、ウィリアム・シェイクスピアを音読することに決めました。

 一昨日、日本で初めて女性でw・シェイクスピア全作品を翻訳された松岡和子先生から御著書【すべての季節のシェイクスピア】という本が送られてきた。直筆の一文も添えられて。

20代の終わりの数年間、私は当時渋谷のジャンジャンを拠点に、小田島雄志氏の、当時新しい翻訳で、シェイクスピア全作品の完全上演に挑んでいた劇団シェイクスピアシアターに在籍し、日本ではほとんど未上演の作品8本に、最後の数年参加することができた。(この体験はその後の私の人生をどこかで決定的に支えているように思える)


もう40年も昔のことであるが、その当時の記憶はいまだ生々しく脳裏に刻み付けられている。そのようなことを打ち出したら、長くなるのではしょるが、松岡先生はたぶん当時はまだ大学の先生で、シェイクスピアの翻訳はされておられなかったと思うが、よくシェイクスピアシアターの舞台を観に来られていた。まだみずみずしくお若くキラキラ輝いているお姿を、度々私は見かけていた。

あれから幾年月、歳月は流れ、私は40才で岡山に移住、中世夢が原に職を得て、全くやったこともなかったが、企画者となった。22年間の仕事を終え、子育ても終わり、61才で再びシェイクスピアを声に出して遊ぶ塾を立ち上げ、青春ではなくなったが老春を今一度ってな感じで、奇特な塾生とともにシェイクスピアの豊穣な作品群に挑んでいた。

松岡和子先生が筑摩書房から、文庫版でシェイクスピア全作品を翻訳しているということは知っていた。ある日丸善に足を運んだ。すでにかなりの作品の翻訳がすすみ、翻訳されたご本が並んでいた。私は小田島訳をテキストにしていたので、松岡先生の文庫版は読んでいなかったが、文庫の巻末に作品の日本での上演史が掲載されているのを知って驚いた。

【間違いの喜劇】の配役表のなかに、なんと私の名前が記されていたのである。今ではかなり名前の知られた俳優、吉田鋼太郎氏の名前とともに。面映ゆい気持ちとともに、青春時代の貴重な個人的な記録として、文庫本のなかに一行私の名前が残っていることに、私は嬉しさを禁じ得なかった。妻や娘たちはわたしの熱き20代を知らないからである。

松岡先生の翻訳は脚注が多く、私のような無知な輩は本当に学べる。そして学ぶことが無限に面白いのだ。細やかな女性ならではの配慮が、この小さな文庫本にはぎっしりとつまっている。このような視点での、全作品完訳の偉業をなされたかたと、ほぼ40年ぶり今年の夏8月、下北沢、本多劇場に加藤健一さんの芝居を見に行った際、芝居が終わったロビーで松岡和子先生と再会したのである。(その際のことは五十鈴川だよりに書いている)

私は完全翻訳のお祝いを言葉で伝え、上演史のなかに私の名前があることのお礼も直接伝えた。岡山に戻りいただいた名刺に梨を送った。(シェイクスピアへの無限の情熱的な愛が詰まった文庫本での翻訳の偉業に脱帽する)そしてそのお礼のご本が届いたのである。

60代は小田島訳、70代は松岡和子和子先生の翻訳で、無限にシェイクスピアを学びつつ、枯れつつも小さな声で音読できるかと想うと、燃える秋へと私は誘われる。

0 件のコメント:

コメントを投稿