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2022-10-06

沖縄に桑江御夫妻に会いに出掛ける日の朝の五十鈴川だより。

 起きたばかりで、あまり時間がないのだが、日録ふうに少し打ちたい。これから沖縄に出掛ける。8時15分発なので6時には家を出る。沖縄の友人ご夫婦、桑江夫妻のご主人の絵の個展が開かれるのに合わせ、本当に久しぶりに会いにゆくのである。

今まで、沖縄に出掛けるのはどこか内心忸怩たるものが自分の中にあり、そのことに関して打つのは容易ではない。だがようやく、その忸怩たる思いがなくなってはいないのだが、少しは以前よりは減ってきている。がその事に関しても打つのは、容易ではない。

理屈はともかく、ヒトがヒトに会いにゆくだけなのである。今、元気なうちに会って、いろんなお話をしたい人なのである。この年齢になると心から会いたいという人はそうはいない。なにはなくとも特に語り会いたいという人はそうはいない。だから嬉しいのである。

沖縄にかじまや、在りです。

たった二人の、だがとびきりの私の沖縄の友人に会えるかと想うと、嬉しいのだ。沖縄にゆくのはいったいいつ以来か。もうずいぶん行ってないのは事実である。コロナ以前も沖縄には行っていないので、いずれにせよ、ずいぶん出掛けていない。だから繰り返すが嬉しいのである。古希を迎えた高齢者ではあるが、どこかまだうきうきする自分がいるので、今回の沖縄への3拍4日の旅が嬉しいのである。ついこないだの故郷帰省旅を終えたばかりなのではあるが、続いて沖縄への旅ができるのは、ありがたいというしかない。

普段は静かな生活が続くだけなのであるが、時おり非日常生活が偶然連続して続いたりするのもまた、老いゆくなかでの楽しみのひとつとして、自由自在に流れてゆきたいという思いが強くなっている。いずれにせよ、もうこの年齢になると、すべてはお導きに身を委ねるしかない、というような心境なのである。

計算したようには、人生はまったくと言っていいほど進まない。生活しながらとぼとぼ歩いていると、これは私の場合だが思わぬことが起こるのである。だから桑江御夫妻似合うのが楽しみなのである。分けても、ご主人の良健さんと男同忌憚のない話ができるのは、無上の喜びである。

沖縄が宿命的に抱え込まざるを得ない途方にくれるあらゆる問題にたいして、絵筆一筋、人形劇一筋、これほど真摯に生きておられる御夫婦に、何故か出逢えたこの巡り合わせを、私は今回の旅で、しっかりと受け止め耳を傾けてきたいと考えている。耳をそばだて、企画が生まれてくる可能性を自分の中に期待したいのである。私には企画することしかできないからである。

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