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2022-10-30

昨日藤原新也さんのふるさとで行われている集大成、回顧展に出掛けてきました。そして想う。

 昨日日帰りで、北九州市立美術館別館まで、藤原新也さん(なんどかお目にかかったことがあるので、さんと呼ばせていただく)の50年にも及ぶ、集大成の、形容し難い多岐にわたるお仕事の回顧展に足を運んできた。

私ははそれぞれの人生の季節に、出会えた人や書物から自分でもおもいもよらぬほどの影響を受けてしまうことがある。他の人とは比較しようもないが、ことに私の場合はそのような傾向がある、ということを否定しない。

20代の後半から30代、40代まで折々藤原新也さんの書物、写真集をずいぶん手にしてきた。それらはすべてではないが、私にしては多い。いろんなことを学ばせていただいた。この年になってみるとずいぶん影響を受けたのだということがわかる。折々の人生の転機の決断をするときに、藤原さんの発する言葉や美醜の概念を破壊し創造するこれまで見たこともない写真に圧倒された。裏表、多面的複合的に対象に迫り、見据える強靭な眼差しに、何度もこの人にはかなわない、お見通し、と脱帽した。

藤原さんの発するコトバニ勇気をいただきました

修羅場を潜り抜け、土ぼこりの舞う荒野を一人歩き、おびただしい世界の多様性、世界の国々の多様とでもいうしかない人間の存在の豊かさ、生活の営みの上に築かれた人間の存在感のたしかさを知らしめてくれた写真家である。

若かった私はビックリした。自分も見知らぬ世界の人々をこの目でみたいと思った。だが、当時の自分にはあまりにも力がなかった。だからか細い自分を鍛え、真っ当にいきる勇気を身に付けないと、このまま時代の大きな流れの渦のなかに巻き込まれ、うたかたの泡のような人生を送ることになるのではないかという恐怖心のような気持ちにおそわれた。当時20代の終わりで、これからどのように生きて行けばいいのか途方に暮れていた私は、もし藤原さんの書物に出会わなければ守りに入って安易な人生を送っていたかもしれない、のだ。

それほどに、若かった私は藤原新也さんの特に言葉に触発され影響を受けたのである。そして今つくずく想うことは、影響を受けて良かったということである。31歳で富良野塾に参加しようという勇気がわいてきたのは、明らかに藤原新也さんの時代を深く見据える言葉に、まだ若かった私のからだが鋭く反応したからだと、おもえる。

テレビをあまり見ない私に、藤原さんの番組が日曜美術館であることを友人が知らせてくれた。藤原新也さんの集大成の回顧展が、ふるさとで行われているのを知った。足を運んだのは間接的ではあれ、感謝と、見ておかねば、という強い気持ちが動いたからである。

回顧展の集大成のタイトルは【祈り】である。ひとこと五十鈴川だよりにきちんと打っておきたい、出掛けてよかったことを。藤原新也さんは勇気ある単独行動表現者である。50年間、この激動人類人間社会の行く末に絶望的危惧を抱きつつも、今も写真を撮り、ことばを発し、書をしたため、絵を描く。

78才、50年間の回顧展、一人屹立し、ただただじっと地球に生息する人間、風景を見つめ写真を撮る。ことばが生まれる。人間と同じように花や蝶もゴミも水滴も、生と死まるごと曇りなく見つめる。人類はどこに向かうのか。

独自、藤原さんタッチ、夢か幻のような写真の多様さ、紛れもなく氏にしか撮れない写真である。詩人的な感性は、自由自在に時代を地球を横断する。権力者の横暴に単独で古希を過ぎても怒る。畏敬するに足る希な表現者である。行動しSNSで発信する。香港の雨傘運動をこのような形で発信した写真家が他にいただろうか。私は知らない。みずみずしくやわらかくあたたかくやさしい。希な普通感覚で世界の不条理を打つ。能力は遠く及ばないが、この精神を少しでも藤原さんから学びたい。この希な表現者と同時代に生きて出会えたことの幸運を、きちんと五十鈴川だよりに打っておきたい。

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