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2022-10-17

企画者として30年(中断もいれて)、家族なくしてはあり得なかった。そして想う。

 来年の春の企画を決めたことで、そこに向けてゆっくりと進みながら、静かに穏やかな生活を、まずは足元の家族の日々の健康を願いながら、心がけたいと想う。今日は思ったよりも雨が激しくはないのだが、肉体労働はお休みにした。

自分では若いつもりでも、なんと言っても古希なのであるから、もうこれからは細心の注意をはらって、無理無謀なことは控えようと決めたのである。(とは言ってもやってしまうのかも)

だが私は老いのブレーキというふうに考え、初めて経験する70代を、家族や友人たちと生きているからこその喜びの時間が持てるように、一日一日を毎日は打てなくとも、五十鈴川だよりをうちながら、考え続けられれば、と思っている。

一度お会いしたかった尊敬する人

さて。家族LINEで来年の企画を決めたことをいの一番に伝えたことはすでに打ったが、いの一番に妻が手伝うといってくれたことが、何よりも嬉しかったことを、五十鈴川だよりにきちんと打っておきたい。

30台半ば妻と廻り合い、娘に恵まれ、私に家族ができ、私の人生は一変した。18歳で世の中に出て、演劇などというまさに無謀きわまりない世界(まさに井の中の蛙でした)に足を踏み入れ、運が良かったというしかないが、なんとか今をいきられているのは、臆面もなく打っておくが妻との出会いのお陰である。そして家族のお陰である。

話は変わるが、コロナの出来からまもなく3年である。この間打ち込んでいたシェイクスピアの音読塾は閉鎖になり、人生で初めての大きな手術があり、次女に最初の子供が授かり、私は二人の孫のお祖父さんになった。そして今年の2月24日には、紛争というにはいうにはあまりにも大きな、人類の分かれめにもなりかねない、ウクライナでロシアによる侵略戦争が始まり、今もおぞましい戦争がやむ気配はいっこうに見えない。

そのような中、私の生活は続いている。私は家族のことはあまり五十鈴川だよりでは打っていないと思う。自分のうちわのことにふれるのは、妻も私もきが進まないからである。だが誤解されてもいいから打ちたいのは、他の企画者のことは存じ得ないが、私の場合、どこか家族が慎ましく穏やかに生活がなし得ていないと、企画ができないのである。

もっと打てば、具体的な応援ではなくても、精神的な応援がないとできないのである。身内に心配事があれば、きっと私のような輩は企画はできないのではないかと思われる。だから、私がつくづくありがたいのは、私のやることを理解するには遠くても、そこはかとなく家族の応援があればこそ、私はエネルギーが湧いて来るのである。

私は思想信条もあやふやな輩であることを、どこか心の片隅で、コンプレックストラウマとでもいうしかないほどに、認識している。だがその事をいい方向に考えることで、凡ぷなりになにがしかの企画が生まれてきたし、でくの坊世界、老いの可能性を見つけたいのである。やがて企画はできなくなり、必ずヒトは、私は死ぬ。

だが今は生きている。そして一人ではない、家族や仲間が応援してくれる。それが今のところの私の絶対的価値であり、宝である。最低のお金は必要だが、十分ではない。ギリギリのところでこそ命は輝く。

企画者の私を鼓舞するアーティストとの出会い。黒子に徹し水面下で支えるスタッフ。そしてどこからともなくやって来て客席を埋める当日の聴衆。まさに一期一会のイベント。40才で初めて企画をして以来、中断含め30年企画を続けているが、家族がいたからこそ、応援してくれたからこそ、企画が今もなし得ているのだ。ただ、感謝である。

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