ページ

2019-06-23

第6回シェイクスピア遊声塾発表会を終えた翌朝に想う、とりとめなき五十鈴川だより。

疲れているが頭はどこかさえている。第六回目のシェイクスピア遊声塾の発表会、ロミオとジュリエットを無事に終えることができた。そのことだけでも、わが五十鈴川だよりにきちんと書いておきたい。

6回目にしてようやく達成感の持てた発表会ができた。塾生と私の7名で挑戦した朗誦による発表会。あらためてロミオとジュリエットという作品の素晴らしさが、この一年音読し続けたおかげでこの年齢で再び沁みた。6名の塾生にはこの場を借りて深く感謝を。

昨夜は全員ではなかったが、塾生と遊声塾 をこよなく応援してくださるT氏7名で打ち上げ。久しぶりに心から愉しくおいしいお酒をいただいた。

2次会、何と私がカラオケに行こうといい、自ら歌をうたったのはいつ以来か。塾生の歌う姿も初めて見た。みんな各々の世界が、歌に反映されていた。楽しかった。心地よく酔い、同じ電車でT氏と共に家に向かった。

最後の一杯は、T氏がコンビニで買ってきたウイスキーを、二人東岡山の駅のベンチで。こんなにまでわが塾をほめてくれるのには、大恐縮である。ほとんど褒められることの少ない人生を送ってきた私であるので、一念発起遊声塾を立ち上げて報われた思いに満たされた。(T氏は一次会を持ってくださった、昨年のリア王の2次会に続いて)
我が家の妻の手入れによる今朝の紫陽花

大多羅でT氏と別れた。ナイスガイである。西大寺の駅に降り立つと、水田から蛙の合唱が聞こえてくる。しばし酔い覚まし。風に当たり酔狂なるもののけ思いにふける。こういう時間が私は大好きである。無為なるひと時。

蛙の合唱を聴くと、生家の真ん前に広がる幼少期の水田風景が蘇る。目線が低かったので広大な風景、ほかに何もなかった。今の季節、夜になると蛍が乱舞した。あの原風景、夏休み、晴れた日は毎日五十鈴川で惚けたように遊び続け、ぐっすりと眠った少年期に、わが心はたぶん正気の間はとこしえに回帰する。記憶の母はまだ若く、美しかった。

記憶の中に埋め込まれた、音への回帰、森のざわめき、生き物の聲音、台風の風の音、せせらぎ水の音、自分の心臓の鼓動 、物売りの聲等々。わが体は記憶で成り立つ、思い出の宝が全財産、その幸福ノスタルジー感覚で繰り返し今を生きる(エネルギーが湧いてくる)。

年齢を忘れさせるほど、いまだロミオとジュリエットのあの純粋さに、一途さに私は打たれる。あのような作品を書いたW・シェイクスピア、途方もない。煩悩に揺らぎながら、今しばらく塾生と共にシェイクスピアを音読しながら、答えのない問いを死者たちの側から思考してゆく勇気をロミオとジュリエットは私に示唆する。


0 件のコメント:

コメントを投稿