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2019-06-25

第27回 奥村旭翠独演会を大丸心斎橋劇場で聴くことができました。(私の感性はますます過去に回帰する)

Gw明けのころのことだったと思うが、新聞で筑前琵琶名手の人間国宝であられる奥村旭翠さんと落語家の桂南光さんの対談記事を読み、一年に一度という個人の会の演奏会が6月23日大阪であることを知り、遊声塾の発表会の翌日なので、行くことに決め、問い合わせ番号切り抜いた。

だが時すでに遅し、私が電話をした日にはすでに完売とのことであった。だが、私はあきらめなかった。発表会の翌日、疲れ切っていた 体を休めながら読みたかった本を片手に在来線でゆっくりと大阪に向かった。

車中何度も居眠りをしながら心斎橋の大丸の14階にある劇場についたのが、午前11時頃、完売との表示が見えた。とにかく場所は確認できたので、開園午後2時。開場の1時半まで近辺を散策し、お昼を済ませることにし、時間までめったに来ることのない盛り場での一時を過ごした。

ゆっくりと昼食を済ませ、13時半過ぎ再び277席の劇場へ。個人の会の事務局の方が受付におられたので、事情を話し、もしキャンセルがあればとお願いし、運試し私は待った。万が一聴くことがかなわねば、大阪でしか出会えないようなものでも観るつもりであったが、運は私に味方した。

私と同世代くらいの、まことに品のいい女性が開園5分前、遠くからわざわざ起こしくださいましてありがとうございますと、(実にきれいな日本語だった)ティケットを持ってきてくださった。スタンバイしていたのは私一人であった。

やはりあきらめないでよかった。ロミオとジュリエットを終えたばかりのわが体は、いい意味での虚脱感があり、それを埋めるには聴いたこともない、筑前琵琶の音色が 、語りが、と直感が働いたのである。

筑前琵琶は魂を鎮めるための演奏と語りである。開演、幕が開くと一人の女性が琵琶を持ち端座して静かに琵琶を奏で、語り掛けるように歌いだすと、会場は水を打ったようにしずまりかえった。

生まれて初めて耳にする、筑前琵琶の世界。途中講談のゲストが入り(この方も素晴らしかった)人間国宝は3曲語り演奏された。声と音が疲れ切った体に沁み行ってきた。突然、静けさや岩に染み入る蝉の声という芭蕉の句が浮かんだ。筑前琵琶、この世界に比類ない芸能は日本人の感性が生み出しえた独特のものであると、再認識した。午後4時前に終演。

 事務局の女性にお礼を伝え、すぐに梅田に向かい在来線に飛び乗った。虚脱感に満ちていたわが体は、息を吹き返し帰りはずっと本を読み続けた。(頭の片隅で、琵琶の音色と声の余韻が響いていた、日本人の感性の繊細さはいずこへ、私の中であの感性にあやかり、日本語でのシェイクスピア音読に少しでも迫りたいと思わぬインスピレーションを得た)

人間国宝は、一言もしゃべらず、ただ演奏し語った。その姿たたずまいはこの世の物とは思えないほどに崇高で、まるで菩薩のようであった。

あの世とこの世をつなぐ、日本が生み出した奥深き芸能の一つ筑前琵琶を、ロミオとジュリエットの発表会の翌日 に出遭えた幸運を、きちんと五十鈴川だよりに記しておきたい。


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