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2018-07-11

明日は我が身という感覚、痛み、想像力を持ちたい。

わずか数日前とは、まったくといっていいほどに風景が一変した映像をこうまで目にすると、言葉がない。

私は22年間、新倉敷から車を走らせ、小田川を渡り、川に沿って走り、矢掛町から美星町に向かい、復路も同じコースを走った。
散歩で摘んだ猫じゃらし

土地勘があり、見慣れた風景の中の人々の暮らしのエリアが濁流に飲み込まれ、想像を絶するほどの、まさに未曾有の災害に見舞われている。

通勤コースは外れているが、真備町の市役所界隈は、何度も車で通ったことがあるので、あの周辺の、ほとんどが水に浸かった、今回のあまりに無残に変わり果てた災害の映像には、、、。

言葉では、一寸先のことはわからないとはいうものの、人間の感知しうることはおのずと限界があるのだということを、まさに知らされる。

もし我が家のすぐそばを流れる砂川や、吉井川が決壊したら、おそらくは同じような無残ことに 状況次第ではなっていたに違いない。

まさに他人事ではないのである。災害が少ないといわれる岡山ではあるが、油断したら大変なことになる、ということをあらためてこの災害は、私に示唆している。

行方不明の方々がまだまだおられ、晴れてはいても広島では決壊がおきたりしている。この自然災害はまだ続いている。

悲しいかな、身近で土地勘があるだけで、こうも 災害から受ける感覚が異なる、我が身である。

この年まで、大きな自然災害他、筆舌に尽くしがたい苛酷な経験をせずに、生かされている今を申し訳なく、感謝するしかないが、ささやかに何かせねばとの思いはある。

明日は我が身、誰の身の上にも、長い一生には このようなことが起こりうるのだということを、今更のように私は感じている。




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