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2018-04-10

継続することの妙味は、死を身近に感じることで深まる。

花冷えの季節というほかはないほどの、冷え冷えとした朝がこのところ続いているが、なるべく一日の生活がリズムよくながれるように、朝の声出し散歩を継続している。(約一時間)

小さいころから長続きしない、飽きっぽいわが性格、移り気。世の中に出て、これでは世の中では通用しないと徐々に気づき始め、(いささか遅きに失した感は否めないものの)、得手不得手はともかく、3日坊主的な事はずいぶん減ってきて、雑草を抜いたり、苦手であったことがずいぶんこなせるようになってきた(逆に好きになってきた)自分がいる。
藤原新也さんのリトグラフ(私の数少ない大切なもの)

もう何度も書いているが、若い頃は生活費を稼ぐのが精いっぱいで、読まねばならない本もろくすっぽよまず、(積んどくだけで)文章を書くのもことのほか苦手だった。(いまは文字を読まない暮らしは、考えられない)

ところが今や、日々の暮らしの中で生じる、なにがしかの想念(おも)い、つれづれを書いて心身を調息するかのように持続することが、支えとまでは言わないが、愉しくなろうとは思いもしなかった。(囲炉裏通信も含めれば10年以上書いている)

弓も何とか一年以上継続している。(このことはまた書きたい)シェイクスピア遊声塾は丸5年(これは好きなことなので当たり前ではあるが)続いている。

そして、まだまだ3日坊主の域を出ていないが、このところ調理をすることが愉しいとまでは言わないが、苦にはならなくなってきた。それはいろんな要因、理由があり、たまたま年齢的にも、食事がいかに大切であるのかが、身に沁みるようになってきたからである。

食材の買い出しも 、バリバリ働いていたころはまるでしなかったが、この数年買い出しがとんと苦にならなくなり、最近は楽しみになってきたのであるから、まさに自分とはいい加減、不確かな実在というほかはない。(人は老いながら移ろう)

家事を楽しめるか否か、掃除と炊事、後片付けまで、これさえ楽しめれば老い楽ライフはぐっと面白くなる。何しろ時間がゆったりと在るのだから楽しむにしくはなし。

妻はあと数年、フルタイムで働くといっている。私が調理を楽しむことで、妻の負担をいくばくかでも減らすことができ、夫婦の中が円満になるのであれば、まさにいうことはないではないか。

というわけで 、早朝、午前中、日中、夕方、月曜日から金曜日まで、一日にほぼ10時間近く、やることがほぼ決まってきつつある、ありがたきかな(夜はほとんど何もしないで体を休める)わが最近の日常平凡ライフである。







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