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2018-04-15

春うたかた、弓を始めて一年2か月、そして思う。

4月もはや半ば、GWも目前である。次女もこの春から東京生活を始めたことで、二人の娘が使っていた2階のひろい板の間の部屋が空いたため、私はその部屋を使うようになり、これまで一階で使っていた部屋は、全く使用しなくなった。

移動した一番の理由は、板の間であり天井が高いので、弓の素引きができるからである。

これまで畳の間で五十鈴川だよりも、座った状態で書いていたが、二階では娘が使っていたイスとテーブルで書くようになってきた。時折正座したり、以前のように座って書いたりもしているが、正直椅子で書く方が年齢的に楽になってきた。

今も椅子に座って書いているが、背筋だけは意識的に伸ばしながら書く(打つ)ように努めている。

さて、ほとんど物らしきものが 少なくなった、リビングの次に広いこの部屋は、今や私にとって、大切な弓の素引きのできる空間と場に生まれ変わった。

そういうわけで、徳山道場までゆかなくても、素引きだけは家でできるようになってきたので、岡山往復に費やしていた時間がなくなり、大変に助かり重宝している。

65歳の誕生日直前から、弓を始めて一年2カ月が過ぎた。教室ではようやく、素引きから矢を放ち、的前に立てるところまでこぎつけてきた。


雨に濡れた我が家の玄関先のフリージア
的前といっても、28メートルあるので、至近距離から徐々に放ちながらの訓練になるのだが、昨夜の教室はたまたま雨だったので、初めて28メートルの距離を4回だけ矢を放つ経験を した。

的の近くに矢が飛んでくれただけでも、私にのみ感じるうれしさが あり、あきらかに、たまたまのまぐれなのだろうが、最初の一矢が的に的中した。

自分のはなった矢が、初めて的に中った音を私は聞いた。それはこれまでの人生で初めて聴いた音だった。

息子になったレイさんとのご縁で、たまたま始めた弓である。年齢と共にあらゆる身体能力、感覚、機能が低下してゆく中で始めた弓の世界。

声を出すこともそうだが、年齢を重ねるごとに 、若いころには意識せずとも難なく動いたりやれたことが、徐々にできなくなろうとしている渦中に始めたともいえる弓の世界は、私に老いの心身機能調節として、(いやでも現在のおのれと無言で向かい合わざるを得ない)欠かせなくなりつつある。








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