ページ

2018-04-19

丸5年ぶり中世夢が原を訪ねる、そして思う。

中世夢が原退職後、丸5年が経ち、その間娘二人は巣立ち、先ごろ長女に子供が授かり、私はおじいさんになった。

あとどれくらい正気で、五十鈴川だよりが書け、いつ何時、天寿が我が身に訪れるのかは思し召し、皆目わからない。だから深い内省と自覚をもって、今後を生きなければならない、というということを、孫の誕生は私に考えさせている。

後年、いま過ごしているなんとも穏やかな日々が、かけがえのない転機の年だったのだということを、きちんと書いておかねばという 思いの、今朝の五十鈴川だよりである。

さて、詳細は省くが中世夢が原退職後初めて、丸5年ぶりに、22年間、働かせて日本で初めての中世の歴史公園を訪ねた。

初代園長K氏のお声掛けで,開園当時のメンバー中心で集ったのは5名、何しろ開園から四半世紀、高齢化、寄る年波はいかんともしがたく、手仕事職人の方々の姿にはお目通りがかなわなかった。(でも私の脳裡にはくっきりとその方々の存在は今も生きている)

その5名の方々と、園内の三斉 市で集合、元気での再会を祝し、お茶をいただきしばしの語らいを持てた幸運を、私はかみしめた。

中世夢が原は5年前と全く変わらず、時が止まったかのようにそこに在った。そこで働いていたものとして わかるのだ、管理し園内景観を守るのかがいかに大変であるのかが。現スタッフがしっかりと中世夢が原を守っていた。

光陰矢の如しというが、中世夢が原で働くことができたこと、この間の22年間は、いろんな意味で、悔いなく仕事ができた、またとない幸運な人生時間の渦中であったのだということを、あらためて確認することができた。

5年ぶりだったからだろう、余計に風景が新鮮にしみた。矢掛から一気に景観が変わり、見慣れた美星の水田には水が張られ、まぶしいくらいの陽ざしに映える新緑、藤の花が私を迎えてくれた。ああ、この道を22年間運転し続けたのだとの感慨が、こみ上げてきた。

あれから五年経ち、元気に運転でき、夢が原に向かうことができる今に、私は感謝した。

我々5名は、昼食をともにし秋の再会を約束してお別れしたが、私はなかなかゆけないので、時間の許す限り、美星天文台のA氏や、現中世夢が原園長のO氏にご挨拶をして、美星を後にした。

往復120キロ、車での短時間での移動、思い立ったが吉日、出かけて本当に良かった。孫が大きくなったら是非連れてゆきたいと思っている。

その日のために、体と心の元気をしっかりと保つべく心かけねばとの想いを新たにしている。 最後にこの場を設けてくださった初代園長K氏に心より感謝する。

0 件のコメント:

コメントを投稿