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2017-03-06

母の白内障手術の朝に思う。

昨日は啓蟄。何やらがうごめきだす季節の到来を、なにやら先人たちは見事に何やら感じていて後人にきちんと示してくださっておられることに関しての、いわゆる伝統的な言葉の数々には、恐れ入るほどに、感心する。

ところで、4日連続で五十鈴川だよりを書くなんてことは、本当に久しぶりだ。自分でも 、ほ、とんど反応のないブログを書き続ける根拠は本人にも全くよくわからない。

いわゆる煩悩の発露、自己満足の域を出ない、お金のかからない自己救済てきな散歩にも似たようなものであるという認識の最近の私である。

84歳の母が、一日に何か一つする、を生きがい目標に、歩んでいる姿を間近に見ている影響は、夢が原退職後私の場合かなり大きい。

母のように生きることができれば、というまさにお手本がそばに在るのだから、じたばたしながらもじたばたすることはないのだ。

それは、一言でいえば自分の好きな打ち込める世界があり、限りなく 丁寧に物事に対処して、日々静かに生きて、後人になるべく迷惑をかけないということである。

でも生きてゆくということは、どこかでお互い様、たより頼られつつあるというのが、人の世の常
である、と私は思う。

だから母にもそのように語り掛けてはいるのだが、よほどのことがない限り私には頼らない矜持をいまだ生きている。だがひさしぶり母からお願いしますという言葉を聞いた。

母が、白内障手術を受けることになり、(妻も先日受けて見事に視界が広がった)平日仕事の妻に替わって、今日も私が病院まで送迎することになっている。
冬仕事・母の編む毛糸の足カバー・ご縁のあった方に差し上げている。

母はありがとうを繰り返す。義理の息子である私に実に気を遣う母だが、老いと共に限りなく 私に対して、実の息子のように接し始めてくれているのを感じる。遠慮がなくなってきた。

私も実の母にはほとんど息子として親孝行ができなかったので、この母に対しては息子としての最低のことを、との思いは私自身の老いの自覚と共に深まりつつある。

絆や癒しをはじめ、世間には浮いたようなキャッチコピー的、商業主義的言葉が白々しいほどに闊歩する世相だが、母はそのような世相とはまったく無縁で、見事なまでに自律した老いの時間を楽しんでいる。

私の妻との週末時間が、楽しみの御様子で日曜日にはよくまた来週との言葉を吐く。私か妻が一日に一度は様子を観にゆくか、電話で声を聴くようにはしているのだが、いたって元気でまだ我が家まで自転車でやってくる。

見上げたものである。でもいつかは共に暮らす日がやってくる。その日のためにも、よくはわからない中で、何かに対しての備えを日々考えつつ送らねばとの、想いを抱く。

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