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2017-03-30

4月から遊声塾でリア王を読みます。

年明けから、毎週一回山陽カルチャーで、35年ぶりにW・シェイクスピア作、リア王を読んでいる。若い時に読んだのとは、まったくといっていいくらいに、まるで違って、今を生きる私に染み入ってくる。

それは何故なのかを、今朝のブログで詳しく書くことは控えるが、それはきっといい意味で私が老いてきているからだろうと思う。昔よりもいろんな登場人物が深く読める自分がいる。
全集に掲載されていたリオ王のカット

作品でのリア王の年齢は80歳である。シェイクスピアの生きた時代としては、きっと高齢に違いない。だから、リアは国の統治を娘たちにゆだね、土地を分割し、自分は引退を決意する。

そこのところから物語は始まる。そこからリアの悲劇的転落が始まる。これまでの4年間、遊声塾では喜劇ばかりを取り上げてきたが、大きな決心をもって4月からリア王を精読することにした。

あまりにも大きな巌のような、4大悲劇の傑作である。私も含めた塾生7名でこの戯曲に立ち向かうのは、あまりにもおおごとであるのは承知の上で、あえて挑んでみたいのだ。

いつまでも読めると思うな、わが体といった心境なのである。それにしても400年以上も前に書かれた作品であるのに、今全世界を覆うような不条理感が横溢する時代状況を鑑みるとき、リア王は今もまったく古びていないことを、痛感させる。

私は、シェイクスピアが好きであるが、すべての作品が好きというわけではない。時としてシェイクスピアは私の理解力の遠く及ばぬところに 、大きな嶮しい山としてそびえ立っている。

リア王は、好き嫌いの範疇でとらえられるような作品ではない。人間存在の美しさ、残酷さ、悲しさ、人間性の多面性が、言葉で余すところなく肉薄する、比類のない作品である。

だからといって、そんなに深刻に考えているわけではない、これまで4年間声を出し続けて 、巡り合えた塾生と、まじめに遊声したいのだ。

65歳にして、ようやく挑戦できる 面々と出遭えた、記念の作品として、悲劇・リア王を声に出してよむことにした。

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