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2017-03-28

無事に、少数応援団のおかげでシェイクスピア遊声塾第4回発表会を終えることができました、そして思う。

遊声塾の4回目の発表会が終わった。塾生と私の6名で何とか長い喜劇【恋の骨折り損】を人様の前で読み終えることができた。

37名の方が足を運んでくださった。この場を借りてきてくださった皆様に心から感謝します。

実はまだ五十鈴川だよりを書く気分には、ちょっと遠いのだが、とにもかくにも何とか塾生と、私の4年間の悪戦苦闘の発表会を終えたことを、五十鈴川だよりにきちんと書いておきたいのだ。

当日、シェイクスピア遊声塾を一度見学に来られたた、カメラマンのI氏が、まるでスタッフののようにこまごまと気を使ってくださり、大変に助かった。また塾生の友人が昨年に続いて受付を一人で仕切ってくださり、これまた大いに助かった。それから、舞台に竹韻庵の山桜を運んでくださったS氏に、この場を借りてお礼を申し上げます。

終えた後、I氏のお世話で近くの居酒屋で7人で打ち上げ、こんなに嬉しい宴は初めての経験で、その余韻はこれを書いている今も続いている。

自分でこのように告白的感覚で文を綴るのは、前期高齢者になっても気恥ずかしいのだが、このような発表会が、4回も続いているのはすべて塾生のおかげなのである。

この歳になっても、人間的な青臭さが抜けず、塾生の方々に塾長と呼ばれるのが、たた恥ずかしい限りの私なのである。がしかし、この夜私は初めて4年目にして、自分は塾長なのであることの嬉しさを深く自覚した。

チラシでも、ブログでも何度も書いているが、シェイクスピア遊声塾は無謀な塾である。初心者が日本語ではあれ、あの韻をふんだんに用いた長い文体を、ある程度のレベルで声に出して読むのは、かなりの胎からの声出し訓練がないと難しいのである。(なにせ30年以上声を出していなかったのだから)

4月からリア王読みます。
でも誰に何を言われようといいのだ。上手いとかへたとかの次元ではなく、恥も外聞もなく、この年でもシェイクスピアを声に出して読めることの、不自由さの中での自由を、今しばらくの間追求する晩年時間を塾生と共に生きたいのだ。前例がなくとも挑戦してみたいのだ。

このような私のわがまま時間に寄り添ってくれる仲間がいるということが、にわかには信じられないことに居てくださるということに対する、言いようのない嬉しさが私の体を満たすのである。

これまでのお恥ずかしきわが人生時間が、無駄ではなかったという喜びが、私にしかわからない感覚が。

だからなのだ、この4年間の積み重ねの上に、なにやら新しい展開がまた自分の中に生まれてきそうな気がする春なのである。

積み重ねの上で何やらがはじけて見えて きたような、4月から月2回の輪読ワークショップも始める。遊声塾も悩みの中から生まれたのだし、道は未知の中に潜んでいて、無意識に動かされるのだ。

限りある奇跡的人生今しばらくは、シェイクスピアを声に出して、新しい人と出合い人生を送りたいとと私は夢見る。いい意味で過去とはお別れしたい。

シェイクスピア遊声塾の皆様、至らない塾長ではありますが、なにとぞ広き心でお付き合いくださいませ。

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