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2017-03-04

K氏との40年間の関係性の果てに頂いた弓を前に思う。

実によく寝た。9時過ぎに床に入り本よ読んでいたらすぐに睡魔が遅い、スタンドを消して寝入ったのだが目覚めたら朝6時、9時間近く熟睡していた。その間目が覚めなかった。

起きて昨夜の湯を温め、朝湯につかってしばしブログタイムというわけだ。さて先週上京した際、親友K氏から弓を始めた私に、これまでの人生で最もうれしかった思わぬ弓の贈り物をいただいたことはすでに書いた。

昨日初めて厳重に梱包された、作者の名の入った弓(永野重次作) を奥様手製の布袋から取り出したのだが、あまりに見事な弓で驚いた。

このような素人が見ても素晴らしい出来栄えの銘の入った弓を、気安くいただいていいものかどうか改めて弓を眺めながら感じてはいるのだが、今はただただ、65年生きてきて、初めていただいた最もうれしい贈り物の一品として眺めおきたい、というようなしんきょうである。

我が家に家宝がまた一つ加わりました
それにしても、人生の有為転変の中で、この年齢で弓を習うということも私にとってはなかなかの冒険なのだが、 その冒険に対してまさかの弓のプレゼント。私にとっての芥川賞である。

ちょっと話ができすぎていて怖いくらいだが、それはそれとしてただありがたくいただくことにしたのだが、大切に使用しながら縁あって手元に来た弓を、今はただ大切にしたいという気持ちである。

いただいた弓に触れていると、なんとも言えない安ど感が私を包む。作られた長野重次氏(いったいいつ頃の方だろう、江戸時代か?もっと前か、いずれにせよすごい弓であることは確か)の人格の精が私に伝わってくるのである。いっとき私の手元にとどめ置くがやがてはレイさんが大切に保管使用してくれるだろう。

それにしても、レイさんがこうまで弓の世界に耽溺していなければ、私もまさか弓を習い始めるには至らなかっただろうし、よもやまさかK氏から弓をいただくことになるなんていう、展開になるなどということが誰に予測できただろうか。

そもそもK氏の家に由緒ある弓があるなんてこともまるで知らなかったし、あったとしてもそのような弓を私にポンとくれるというその行為に、私は心底驚いているのである。

26歳、ロンドンのアールスコートのユースホステルで出遭って以来40年間、K氏とは不思議な縁 で結ばれている。氏は育ちがよく東京育ち、日向灘生まれの田舎者の私とは対照的なのだが、考えるとこれがよかったのかもしれない。


3つ年下で、私のことを奉兄と呼ぶ。この間の40年間の、お恥ずかしきわが人生を身近で最もよく知る人物である。長所も短所も丸ごと安心してさらけ出してきてもなお、我々の関係性は今も切れることはなく、ゆるやかに流れている。

こういう奇妙な関係性を持続している唯一の友である。家族までが半ばあきれながらもK氏に会うというと、妻も何も言わない。なんと、我々のアフリカ新婚旅行にも途中から同行した奇縁のK氏なのである。

これからもK氏との緩やかな関係性は生きている限り、流れてゆく。これからはお互い老いながら、下り坂に気をつけながらの、たまさかのときおり再会、不良祖父さん時間を楽しみたい。旅で出会ったのだから、氏とは多様な思わぬ歩くのなんかも取り込んだ、意外性のあるわがまま旅をしてみたい。

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